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近所の桜が咲きました!東京渋谷区。 [2016年]

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近所の桜が咲きました!東京渋谷区。







ランチ [2016年]


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 ガストのスタンドでハンバーグ定食

 400円

 でも、さすがに少なく満腹にならない。





「僕だけがいない街」見た! [映画の話]

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「僕だけがいない街」見た!

 タイムスリップもののミステリー?








「バック・トウ・ザ・フューチャー」見直す [映画の話]

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 参考に「バック・トウ・ザ・フューチャー」見直す

 よくできている!





前作を超えること。作家に課せられた地獄の宿命? [映画業界物語]

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 大人気の劇団。「A」「A城(再演)」は数十分でチケットが完売した。その劇団の舞台を久々に見た。

大ヒット作「A」の後の舞台「B」でかなり迷いを感じ、失速したように思えた。批判は簡単。考えてみる。劇団でも作家でも、ある種の目的(作品作りの上で)を持ち、突き進んで行く。だが、それを達成し、頂点を極め、人気も評価も得たあとというのは本当に大変なものだ。

 その後は次なる目標を探し、それに向かってがんばるのだが、あの劇団は「B」以降、今もそれが見つかっていないように思える。

そこで、ここしばらくは

「***」というフィールドで新たなる目的ーを探しているように思える。今回も前半はそれ。それがクライマックスになり大量殺戮があるあたりから、あの劇団らしさを発揮。盛り上がった。

 個人的には久々に堪能。あの頃の興奮を少し思い出したのだが、厳しい言い方をすると、やはり、あの頃には及ばない。実際、あの頃は幕が降りると観客は全員総立ち。カーテンコールを4回くらいやったが、今回は3回。観客は誰も立ち上がらない。終演後も、劇場を出ると以前は多くの客が興奮して携帯で「今、終わった。凄かった!」「最高!」とか友達に連絡していたが、今回は熱く語る人たちが結構いたという程度。

 次の目標が見つからないと、作家は過去の得意技を使い盛り上げる。が、それは最盛期のパワーを持っていはいない。悲しいけれど、勢いがないときに技術だけで戦っても観客を満足させることはできないのだ。


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 実はそんな手法で対応できることさえ凄いことなのだが、

全盛期を知るファンには物足りないものがあった。それは実力が落ちたのではなく、ひとつの目的を果たしてしまったあとに訪れる作家(劇団)の宿命。いつまで経っても全盛期と比較される。だから、次の目的を見つけ、新しいスタイルを探さなければならない。

 スピルバーグもエンタテイメント(「インディ」や「ET」)を極めたあとに、「シンドラー」「カラーパープル」という文芸路線に進んだように、頂点を極めると、同じことをやっても、自分の過去を超えられず、ファンからは「昔はよかった」と言われてしまう。(だから、新しい目的を持ったスピルバーグは「インディ」の新作を撮っても面白くない)

 なので「あの劇団はどうだ?」と思っていた。今回の舞台見て、まだ、それを見つけていないことを感じていた。伝統的なスタイルの中でできる新しい何か?温故知新をしながらも、まだ踏襲しているのみ。それで最後まで行けないので、昔ながらスタイルでクライマックスを描く。実力はあるので、かなりのところまで持って行く。

 でも、長年のファンは何度も見て来たもの。

全盛期のパワーもない。そこそこ満足はするが、過去を知る者は満足できない。けど、プロとして新しい挑戦をして、失敗はできない。そこで確実にできる過去のパターンで、ある程度の満足をしてもらえる舞台にしたのだと思える。


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 かなり悩んでいる。でも、人ごとではなく、僕自身も同じ。

「ストロベリーフィールズ」は初監督作にも関わらず、評判がよかった。だが、二作目がそれと同じレベルのものだと「前作の方がよかった!」と言われる。 前作より120%の出来でないと観客は満足しない。2作目は 「青い青い空」これも評判がよく。「前作より良かった」と言われ、さらにハードルが上がる。

 路線を変えて「朝日のあたる家」ーこれも評価が高い。すると観客は「もっと泣ける作品!」と期待してくる。 けど「朝日」は実話!それより泣ける物語なんてできない!「どーしよう???」と追いつめられた。

 4作目が「向日葵」奇跡的にまた泣ける物語ができた。けど、次どーするの? もう、「向日葵」を超える作品はできないだろ? というところで悩んでいる。僕だけでなく、作品の評判がいいとファンの期待は高まり、同じレベルだと「前作の方が良かった!」といわれる。

 やはり、前作を超えた120点を取らないと「よかった」に ならない。それが作家の宿命。黒澤明もまさにそれ、別のスタイルに挑戦しているのに、一部では死ぬまで「七人の侍」の方がいい!最近はダメと言われた。

 あの劇団は今、そんなところにいると思える。

 以前、蜷川幸雄を厳しく批判したのも同じ構図。あれだけ素晴らしい舞台演出をしていた人が、新しい挑戦せず。過去のパターンで御茶を濁す。だから、新人作家であった僕は許せなかった。けど、僕は今、たった4本の映画で同じ壁にぶつかっている。蜷川さんやあの劇団の悩みがよく分かる。でも、作家はそれを超えて行かねばならない....。



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話題作を次々に撮る後輩監督。でも、彼はハッピーではなかった? [映画業界物語]

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 話題作を続けて撮っている後輩監督がいる。

 有名俳優が出演。ベストセラー原作。大手映画会社の製作。予算も2億、3億というスケール。大手のシネコンで公開。カタギの友人に訊いても、こういう。

 「ああ、あれねえ。テレビでもバンバン予告編やってたから知っているよ。お前も早くああいう大作を撮れるようになれよ!」

 後輩は誰もが羨む環境で仕事をしている。が、本人はこういう。

 「うらやまれることなんて全くないですよ。

キャストは最初から決まっている。僕が**役は***さんがいいと言ってもダメ。原作を選んだのも会社。音楽も、スタッフも皆、会社が決める。僕は撮影の1ヶ月くらい前。全てが決まってから呼ばれて監督してほしいと言われる。あとは撮影現場に行き、カット割りをするだけ。

 内容や方向性。テーマについても一切、意見を言わせてもらえない。言っても聞いてくれない。おまけに、その日になってから、キャストの***さんは今日は来れないので、なしで撮影してくださいと言われる。何それ? 話繋がらないだろ?無理やり人気俳優をキャスティングするからそういうことになる。

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 でも、その中でやらなければならない。スケジュールも決まっていて、その期間内に撮影しなければならない。演出の冒険はできない。オーソドックスに撮ることを強要。クオリティが高くなくても、そこそこのものを撮ればいい。内容よりも予算と期日が大事。これじゃ誰が監督しても同じ。いい加減うんざりする。でも、それなりのギャラをもらうから我慢している。

 誰も個性的な作品なんて期待していない。

上のいうことを逆らわずに聞く監督が求められている。本当に苦痛で爆発しそうになる。クリエイティブはゼロ。言われたことをするだけ。なのに、皆、羨ましがる。こんな仕事。監督でもなんでもない。単なる仕切り係。いつか見ていろと思うから我慢しているけど、本当に息が詰まる。こんなことをするために監督になったんじゃない....」

 彼はそう言っていた。

 僕は本当に撮りたい作品しか撮らない。だから、仕事が少なく、経済的にも大変。けど、あれこれ言われてもいいものは絶対にできない。言われたことをおとなしく出来るようならサラリーマンになっていた。それができず、自分の考える物語を映画にしたいから映画監督の仕事をしている。

 後輩監督の気持ちは痛いほど分かる。

ただ、自分が撮りたいものを撮るのは毎回、宝くじに当たるようなもの。どちらが幸せなのか? 言えることは、僕には後輩の真似はできない。あれこれ言われたら、いつか爆発して、プロデュサーを殴ってクビになり終わるだろう。それを我慢している後輩は偉い。

 けど、後輩のいうとおり、今のままでは映画監督ではない。カット割り係に過ぎない。誰が撮っても同じ。彼の作品で「お!」と思えるものは1本もない。原作を短くして映像化しているだけ。感動も涙もない。ただ、それが映画界のあるひとつの現実でもある。





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ランチ [2016年]

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 ラーメンライス








ダメな日本映画が多いのは「ドラマ文法」も知らない映画プロデュサーが多いから? [映画業界物語]

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 映画のスタートはシナリオ......ではなく、

まず企画。つまり、物語作りだ。どんな題材で、どんなストーリーにするか?を決める。原作があれば簡単だが、オリジナルを作るならそこからスタートだ。

 例えば、現代に恐竜が蘇る物語? 未来からロボットが送り込まれるストーリー? スパイが巨大組織に挑む話? という具合だ。ま、その前にテーマやジャンルも決めねばならない。20代女性に見せたい=>だから恋愛ものとか、40ー50代男性がターゲット=>だから、社会派ドラマという具合。

 あと、作家、監督が何を描きたいか? 伝えたいか? で決まって来る。友達との友情を描きたいとか、夫婦生活のあり方を問うとか、親子関係を見つめるとか、そんなテーマを決めることで、いろんなことが決まって来る。

 僕の場合。「向日葵の丘」で言えば、

昔から1983年を舞台にした青春ものを作りたいという思いがあった。未来が明るく思える元気な時代。それを描く事で、不況で混沌とした「現代」が対比され、いろんなことが見えてくる。そこで主人公は当時、高校生だった女性にして、過去と現代を対比。物語を作った。

 
 昔はプロデュサーと相談したり、完成したものを見せて意見を聞いた。が、当時から本当に呆れるくらいにプロデュサーという人たちは、物語作りというものが分かっておらず。無意味な批判をするだけだった。


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 とは言え、小説やシナリオ。漫画でもいい。そんなものを書いたことのない人は「物語」とは何か?を把握できていないことが多い。プロデュサーは多くのシナリオを読み、作品にゴーサインを出す役割だが、やはり読んでいるだけなので、その辺が理解できないのである。さらに単に批判してばかりいるので、勘違いして「俺が書いた方がまだマシだ」と思い始める。

 人は不思議なもので、他人の作品を批評すると

無意識に上から目線になり、評論家気分で批評を始めることが多い。Yahoo!映画レビューとか見ると、単なる映画マニアなのに「この作家には荷が重かったようだ」とか「突っ込みどころ満載の作品。自主映画の方がまだマシ」とか偉そうに書く人が結構いる。なぜか、人は批評する立場になると、そんなふうに高飛車になってしまう。

 だが、その批評を見ると「***のシーンはカットした方がいいだろう」「***の場面はもう少し長めに見せるべきだ」とか得意気に書いているが、単に「早く次の場面が見たかった」「あの場面をもっとじっくり見たかった」というだけのことが多い。つまり批評ではなく、感想を述べているだけ。そして趣味思考を訴えているだけなのだ。

 それを評論家風に上から目線で見つめ

「この作家には才能というものが感じられない」とか書く。「才能って何?」「あんた才能を見抜く目があるの?」「そもそも才能なんて存在するの?」と思うのだが、映画マニアにはこの手の人が結構いる。自身でシナリオを書いたり、監督したりしないで、数多くの作品を見ていくとどーしても自称映画評論家になってしまい、自分の趣味思考が批評だと思い込んでしまうのだろう。

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 プロデュサーも同じなのだ。

仕事でシナリオを読む。粗を見つける。「ダメだなあ。辻褄が合わない。このライターは才能がないなあ」と感じる。でも、ゼロから物語を作るより、出来上がったものから粗探しをする方が遥かに簡単でイージーなのだ。なのに「俺が書いた方がマシだ」と勘違いしてしまう(でも、書かないから、批判されることがなく、自分の方が出来る!と勘違いし続ける)そんな環境もありプロデュサーで読む力がある人は少ない。彼らの仕事はシナリオのどこに問題があり、どうすれば面白くなるか?を指摘すること。

 なのに多くのPは「こうしたらどう?」「こんな手もある」と、自身の趣味思考を語っているだけ。ここは難しいところなのだが、物語には文法がある。僕は「ドラマ文法」と読んでいるが、面白い物語には定番があり、いかにそれに乗せるか?という法則がある。それを把握した上で、テーマを鑑みてストーリーを作るのである。

 それらを把握せずに「こうしよう!」「ああしよう!」というのは、「僕はラーメンが食べたい」「私はスパゲティ」と言っているのに等しい。でも、テーマをレストランで例えれば、「伝統的な日本食」だった場合に、ラーメンやスパゲティは外れている。それでも多くのプロデュサーは「あってもいいんじゃないか?」などと言い出す。それならば、そのための方法論を考えねばならないのに、それは持っていない。

 「右へ行こう!」とPがいった場合、

ライターは「違うんじゃないですか?」といっても、「それを考えるのがライターの仕事だろ?」といわれ執筆。プロデュサーが完成したものを読むと「右じゃないなあ。やっぱ左かあ?」とまた違う方向性で書かされる。「んーーまだ違うなあ」とプロデュサーはいう。要は明確なビジョンがなく「ドラマ文法」も分かっていない。ライターは分かっているので、その方向で書いても無駄だと分かっているが、仕事依頼してきたプロデュサーなので我慢して書くが、時間を無駄にするばかり。


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 分かりやすく書くと、物語作りは旅行に似ている。

東京から沖縄に行くのに「電車で行こう!」というプロデュサーがいる。が、ライターは電車で行けないことは分かっている。それを実際に九州まで電車で行き、海を渡れないと分かって「違うなー」というのがプロデュサーなのである。沖縄に行くには船か飛行機しかない。そして東京出発なら西に向かう。それを「東から行こう」と言い出したりする。地球を一周すれば行けるが、時間も経費もかかり過ぎ。ドラマ文法が分かっていればそれに気付くが、知らないとそんな無駄な作業を続けることになる。

 ま、プロデュサーだけでなく監督にもそんな人が多いのだが、なぜ、映画界でそれなりに仕事をしている人たちが「ドラマ文法」すら分かっていないのか? 未だに不思議だが、それだけ安易にベストセラー原作を使い映画作りをしているので、物語を作るという作業を学ぶ機会がないことなのだろう。もちろん、優秀なプロデュサーもいる。

 僕がシナリオライターだったとき、

優秀PとバカPと別作品で同時に仕事をしたことがある。そして、両方の作品で、同じ問題が勃発。どうやって物語を展開させるか議論した。優秀Pとは30分話しただけで、解決法を見つけたが、バカPとは3日に渡り議論。すでに解決法は分かっていたがしたが、彼は納得しない。答えは1日目で見つかっていた。それを何度も説明しているのに、理解せず、他の当て外れのアイディアを出し続け、結局、3日目で先の答えしかないことを理解した.....。


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 後輩たちからよく聞く話もある。よく出来たシナリオがあるのに、Pたちがあれこれ文句を付けて改悪してしまい、結果ダメな映画しか上がらないこともよくある。文句をいうことで自分もシナリオに参加したと感じるPもまた多くいる。それは趣味思考を押し付けただけ。そんなこともあり、プロデュサーの意見を聞くのはほぼ無意味だと思い、その後、映画会社と仕事はせず、プロデュサーは僕自身が兼ねることにした。

 Pたちが無能というのではない。「物語作り」とはそれほどまでに難しいものだということ。そしてPたちが驚くほど勉強をしていないということ。「ドラマ文法」というものが存在していることすら理解していない人も多い。それに従いストーリーを作る事が王道なのだ。が、時として、文法を破ることで面白い物語できることもあるが、それはそれでしっかりとした方法論を持っていなければ成立しない。それが分からずに「過去のパターンを破る新しいものを作ろう!」といってもうまく行かない。

 最近の日本映画。オリジナルものが少なく。面白くないのは

そんなふうに勉強不足のPが多いからではないか? 監督は脚本家のほとんどがフリーなのに対して、プロデュサーは未だに社員の人が多い。それなら映画会社が物語作りを教育すればいい。シナリオ学校で半年間、研修するとか(これはやっているテレビ局がある)自身でシナリオ書かせて提出させるとか。物語は自分で作らないと学べない。人の作品を読み、ケチを付けているだけでは勘違いが進むだけ。それが日本映画をダメにする一因ではないか?と思えて来る。

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ランチ [2016年]

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 ランチ。






 久々にこの店でランチ [2016年]

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 久々にこの店でランチ