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(ご注意)僕の名前で「映画監督」と名乗るTwitterアカウントがあり。別人か?なりすましなのでご注意ください。 [My Opinion]

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僕の名前で「映画監督」を名乗るアカウントが6つほどあります。

日本の映画監督で僕と同性同名はいません。

ま、同姓同名で自称「映画監督」かもしれませんが、、、

僕とは別人なので、ご注意下さいね!

写真。いちばん上が私です。顔写真入り。

これって、もしかして嫌がらせか?

「有名人のニセ者アカウントはよく出て来るよ」

との話も聞く。うーーん、僕も有名人の仲間入りか?

注意せねば。



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これからの時代を生きるために必要なことって何だろう? [My Opinion]

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自分の人生のことってなかなか分からない。

客観的に見つめることはむずかしい。先日、ある業界の先輩と話したとき。面白いことを言われた。

「最近の太田を見ていて思うんだけど....お前は学生時代、教育に疑問を感じて勉強しなくなった。日本で大学に行くのも拒否して、映画監督を目指した。でも、それは当時として単なる落ち零れ。映画界を目指したのは敗者復活戦のようなものだ。ま、だいたい、勉強できない奴が小説家や漫画家。ミュージシャンを目指すものなんだけどね。

でも、多くの場合。夢破れて就職したり、家業を継いだりする。なのにお前は本当に映画監督になった。どーにか、その世界で生きている。サクセスストーリーと羨む奴もいるかもしれないが、不安定な世界だ。来年はどうなるか?分からない。けど、興味深い部分がある。

一昔前は映画や音楽の仕事は浮き沈みがあって不安定。

だから、皆、固い会社に就職して安定を計った。なのに今は会社員でも来年どうなるか?分からない。倒産したり、窓際に飛ばされたり、リストラされたり。昔のように、おとなしくしていたら路頭に迷うことになる。

つまり、今の時代。映画やるのも会社員やるのも大差ない。ただ、違うのは映画や音楽をやってる奴らは考える。道なき道を探して、そこまで来ている。与えられたことをやるだけでなく、どうすれば道が開けるか? 前へ進むか?を思案して、ここまで来ている。でも、会社員やってる奴らは太田がよく言うように、与えられることをやるだけの暗記中心の教育で育ってきた。だから、自分で考えることが苦手。

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その意味で、当時は落ち零れと言われたお前らの方が、

これからの時代を生きて行く力があるだろう。学生時代にまじめに勉強し、いい成績を取ろうと努力して来た連中は、その力がない。与えられた道を走るしかできない。ま、自分に考える力がないことに気づいていない奴も多いんだけどね。成績優秀=頭がいい、と思いがちだけど、それは違って成績優秀=与えられたことを確実にできる、にしか過ぎない。与えられないことはできないだよ。

何だか皮肉だよな。本来は親や先生、その背後にある教育システムや政府が設定した、優秀なサラリーマン育成システムの乗ることで、安定した生活が送れるはずだったのに、時代が変わり、それは崩壊、与えられたことをしているだけでは生きのびることはできない。不安定な時代を生き抜く知恵があるのは、その教育システムから落ちこぼれた連中。拒否した奴らという現実。ドラマティックだよな?」

なるほど、そういう面はあるだろう。

カタギの友人たちを見ていると本当に苦闘している。が、映画の世界で生きて行くことも簡単ではない。映画や音楽で身を立てようとして消えて行った友人も多いので、その世界を目指すことがベターな生き方とも思わない。

しかし、先輩の言う通り、これからの時代は大人たちのいうように真面目に学校で勉強しているだけでは生き延びて行けないことは確かだ。自分で風を感じ、波の大きさを見極める力がないと、混濁の時代を超えて行けないと思える。そんな時代に子供たちに何を伝えればいいのか? 考えている。それが僕の映画のテーマでもあるのだから。





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【「夢見る力」シリーズー何歳からでも夢をスタートできる。やればできる!】 [My Opinion]

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ロサンゼルスでの留学生活を終え、帰国したのは29歳のときだった。同年代の友人たちはすでに就職。それなりの給与を得て社会人として活躍していた。そんな段階で僕は日本で映画監督を目指しスタート。いろんな人から「詰まらぬ夢を追うより就職した方がいい!」といわれた。

中には「某大手テレビ局に中途採用の口利きをするけど?」といってくれた人もいる。でも、夢を捨てるつもりはなかった。といっても、当時、1991年にはバブルも弾け、簡単に新人が映画の監督をできるチャンスは皆無といってよかった。80年代には自主映画ブームもあって、多くの友人がプロデビューしたが、そんな風潮は欠片もない。

思いつくのはシナリオを書いて営業すること。生活を支えるために昼はレンタルビデオ。夜は居酒屋でバイトしながら、深夜帰宅して朝までシナリオを書いた。1年かけて、ようやく1本書き上げ、映画会社に営業をかけた。が、ほとんどが門前払い。「そんなもの読む暇な奴はいない」といわれた。読んでくれても「何だかよく分からないね」と不評だった。32歳になっても状況は変らず。アルバイトをしながら、次のシナリオを書いたが、長年の付き合いである友人たちにこういわれる。

「まだ映画なんかやっているのか? いつまでフラフラしてんだよ。いい加減現実見て将来のこと考えないと駄目だぞ〜」

映画監督を目指し、バイトをしながらシナリオを書くことがフラフラすることだろうか? 何の目標もなく、仕事もせずに、遊んでいるのが「フラフラ」ではないか? そう思ったが、世間に染まった彼から見ると32歳にもなって会社というところに所属していないこと自体がフラフラなのだろう。

そんなときに出会ったベテランの漫画家さん。シナリオを読んでくれたが、こう言われた。

「お前、もう30代だろ? 何をやるにも10年はかかるんだよ? 今からスタートしてもデビューできるのは40代だぞ? シナリオ学校とか行ってるのか? こんなシナリオ書いているようじゃ無理。世の中甘くないんだよ」

素人に言われても気にしないが、クリーエーターである漫画家さんの言葉は応えた。それでもシナリオを書き続けた。この辺を詳しく書くと長編小説になるので簡単に説明するが、一番嫌いな青春もののシナリオを書くと評判がよかった。やがて自分が描きたい作品と、自分が作るべき作品が違うことに気づく。その方向で書き続けた。

漫画家さんに「10年かかるんだよ」と言われた翌年にシナリオライターデビューした。そして、その2年後に監督業をスタートさせる。さらに時間は掛かったが、その9年後。念願の映画監督デビューを果たす。自主映画時代の友人は20代でデビューしたが、僕は40代になっていた。

「フラフラしてるんだ」と言ってた友人は会社が倒産。田舎に帰った。そして、あの漫画家さん。あれから連載漫画を持つことはなく、数年後に亡くなった。「詰まらぬ夢を追うより就職した方がいい!」といっていた人たちは今、僕を応援してくれている。ありがたいことではあるが、その昔、「お前は才能あるのか?」「世の中は甘くないぞ」「現実を見ろ」と言っていた人たちが、誰もあのときの弁明をせずに応援するのは、少し引っかかるところはある。まともに人の忠告を聞いてはいけないということだ。

いつの頃からか、監督を目指す若い人や俳優の卵たちが集まってきた。そして質問をされる。「どうすれば映画監督になれるんですか?」「どうすれば俳優になれますか?」「もう30歳ですけど、無理ですかね?」僕はこう答える。

「遅過ぎるなんてことはない。今からでもやればできる。ただ、人と同じことをやっていたら駄目。真剣に考えて、命がけでがんばれば絶対に夢を掴める。マニュアルなんてない、学校では何も教えてくれない。けど、諦めなければ絶望しなければ、そして希望を探し続ければ必ずできる」

ただ、夢はたどり着くまでも大変だが、そこからがもっと大変。戦いは続く。2015-6




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【我慢して仲良くすることが大切か? いや、価値観を同じくした同士が前に進むこと】 [My Opinion]

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【我慢して仲良くすることが大切か? いや、価値観を同じくした同士が前に進むこと】

 映画製作はチームが肝心。

 映画界では黒澤組、大林組、市川組、山田組と監督を中心に実力あるスタッフが集まりファミリーのような形で映画を作る。監督が優秀であるだけではなく、スタッフもまた優秀でなければ、いくら監督が優秀でも、素晴らしい作品はできない。そして、ただ単に実力ある人たちが集まっただけでは優れた映画はできない。

 実力と共に価値観や方向性も問われる。新しい技法や方法論を取り入れて映画を作りをしようとする監督に、古い価値観やルールを重んじるスタッフがいると、監督のやり方を批判し、足を引っ張るだけとなってしまう。いくら技術があっても、方向性が分からなくては力にならない。

 まず、監督の意向を理解し、

 賛同できる人がスタッフとして参加しなければ、単なる抵抗勢力を抱えるだけになってしまう。監督デビュー直後は僕のまわりにもそんなタイプがいた。悪い人ではない。が、考え方が古い。過去の価値観を掲げて、新しい方法論を馬鹿にしている。なので、古くからの方法論、よくいえば伝統的な撮影、悪くいえば古めかしい撮影法が大事だと主張する。

 どんな主義でも、方法論でも構わない。だが、それを撮影現場で監督である僕や、他のスタッフに強要するのが問題だった。本人は新しい方法論が理解できない。「そんな訳分からない撮影法でいいものが出来る訳がない。太田はまだ新人監督だから、それが分かっていない。ベテランである俺が教えてやらなくては!」と技術部のスタッフが、演出や撮影の仕方に口を出し、あれこれ指示を始めたのだ。

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 だが、映画の世界では、

 それぞれのパートが別のパートの仕事に口を出すのは御法度だ。トラブルの元となる。撮影部が録音部に音の録り方をあれこれ指示する。照明部が演出部のやり方を指図する。これはもうアウト。もちろん、各パート同士で頼み事は出て来る。それをお願いすることはある。が、価値観や方法論を押し付けるのは大問題。

 会社でいえば、技術開発部が営業部に「その営業の仕方は違う! 俺の言う通りやれ」というようなものだ。それぞれのパートはそれぞれの分野のプロ。それを別の分野からあれこれ言われれば揉めるのは当然。そのベテランスタッフは「太田のために、俺が言わなければ!」と僕だけでなく、方針を理解し実践する他のパートにまで、「そんなことじゃロクな作品にならない!」と古くからの方法論を強要したのである。

 結果、そのスタッフは足を引っ張るだけの存在となってしまい、チームの空気を悪くし、作品クオリティを落とし、何をしにきたのか?分からなくなってしまった。が、そんな人はときどきいる。特に世代が上の人たちは、そんなタイプが多い。自分たちが若い頃から培った方法論や価値観を大事にし、若い世代にもそれを伝えねばならない!という責任感を強く持っている。


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 ただ、映画界はこの10年ほどで大きく変わった。

 フィルム撮影からデジタル撮影へ。10年前はまだフィルムで撮影される映画がほとんどだったが、今はほとんどがデジタル。映画館でもフィルム上映できるところは、非常に少ない。ほとんどがデジタル上映である。フィルムとデジタルはかなり違う。特性も方法論も違う。同じ武器でも刀とピストルが違うように、それぞれに使い方は別だ。

 映画も同じで、デジタル撮影になったにも関わらず、フィルム時代の価値観や方法論を未だに実践しようとする旧世代が、そんなふうに古いやり方を振り回してしまうことがある。そして、その方法論の意味を顧みれば、もはや無意味であることが分かるのに、彼らの多くはフィルム時代のひたすら古い方法論を信じて押し付けようとする。本人にとっては「これが正義だ!」という感覚なのだろうが、そんな人が1人いるだけでも撮影は大いに無駄な時間を費やしてしまう。

 本来、そのスタッフに悪意はないので、その辺のことを説明して上げられればいいのだが、ベテランの人たちは古い方法論が深く染み付いており、またそれらをプライドに思っていたりする。若い人ならまだいいが、残念ながら、そんなタイプの人は同じ古い価値観を持つ監督と仕事をしてもらうしかない。

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 世代問題だけではない。

 若い人たちでも、テレビドラマを多くやっている人。CMを中心にやっている人。ドキュメンタリーをやっている人。それぞれの分野の価値観や方法論が染み付いている。それを映画の現場で頑に主張することがある。例えばドラマの人は「クオリティはいいから、早く撮らないと!」と思いがち。CMの人はスポンサーのことばかり気にする。そんなふうに、その業界の価値観が出てしまう。

 それでも映画の現場では映画の価値観で仕事をしてくれればいいが、なかなかできない。もし「俺はCMの価値観が大事だ!」というのなら、問題ではあるが理解はできる。だが、多くは「お前は間違っている!」という態度を取る。え、ここは映画の現場だぜ!というのに、CMの論理で仕事する。おいおいおい! と思える。

 だが、彼らの多くは「CMだ。映画だ。関係ない。これが正しいスタイルだ!」と思い込んでいて。映画の現場でCMの方法論を振り回す。若い頃から学んで来たことが、ひとつの世界の価値観でしかないのに、別の世界でそれを振り回していることに気づかない。アメリカ人が日本の家に入るとき、靴のまま畳に上がり「これがアメリカのスタイルですから」というようなものである。


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 分野だけではない。

 フリーのスタッフと会社に所属しているスタッフでも価値観が大きく違う。会社に属すスタッフというのはあまり聞き慣れないと思うが、カメラマンでも、照明部でも、技術部で、会社に所属している人がいる。或いは登録してあり、仕事がくれば派遣されてくる。フリーで個別にお願いするより、カメラ&照明込みでー安くなることが多いので、テレビの仕事はその種の会社にお願いすることがある。

 ただ、会社に所属しているスタッフは

 あれこれうるさい人が結構いる。「夜中まで撮影したくない」「危険な撮影はできない」「家が遠いので集合時間を遅くしてほしい」とか、事情は分かるものがあるが、映画はまず「やる気!」だ。低予算でも、時間がなくても「いいものを作りたい!」という思いを持つからこそ、素晴らしいものができる。なのに、あれこれうるさい。

 会社員というより「やる気のない公務員」という感じなのだ。とにかく多くのエネルギーを使わずに、なるだけ楽して仕事をしたいという姿勢。「どーせ、たくさんある仕事の1本だしね」という思いがありありと伝わって来る。現場でもやる気が見えない。そう、役所にいけばよく見かけるタイプ。

 自分の仕事ぶり、クオリティは考えず「8時間働いたんだから、それなりの月給もらわなければねー」と思っている人。それに近いことがある。製作会社は人件費を安くするために、そんな社員スタッフを引き入れることが多い。そのために現場のテンションを下げてしまう。もちろん、社員でもやる気がある人もいるが、生活が保証されている人は「どーせがんばっても、給与は変わらないから!」という意識を持つことが多い。

 それに対してフリーは会社員ではないので、

 誰もカバーしたり、保護したりしてくれない。待っていれば会社が仕事を持ってきてくれる立場ではない。だから、一生懸命に仕事をして、また次も呼んでもらえるようにがんばる。いや、それ以前に映画愛がある人が多い。「この作品はギャラ安いけど、いい映画になるので絶対やりたい!」とか「ギャラはいいけど、本当に詰まらないアイドル売り出し映画だから断ろう」とか、自分が「やりたい!」という思いを大切にしている。よく知るチーフ助監督はこういう。

 「社員はほんと嫌だ。やる気ないし、文句が多いし。やっぱフリーだよね。社員がいると、それだけで現場の空気が悪くなる。現場の空気は大切だ。でないと、いいものは絶対にできないんだよ!」

 会社に所属しているスタッフも悪意はない。ただ、映画作りより、生活や安定を大事にする。そして必要以上のエネルギーを使わないようにする。そこがやはり会社員なのだ。なら、映画ではない世界で、或いは、それが許される組で仕事をしてほしいと思える。そんなふうにスタッフといっても、世代で、カテゴリーで、フリーか社員かで、価値観や姿勢が変わってくる。

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 いやスタッフだけではない。

 製作会社の存在も大きい。製作費を抜くだけ抜いて何もしない会社とか、社長の趣味で作品を歪めてしまうところ。誤摩化しと手抜きでスタッフのやる気をなくすところも多い。映画会社の体質も同じ。その会社が関わると映画が根本的にダメなる!という会社もある。その理由を書くと長いので、別の機会にするが、愛のない会社が絡むと素晴らしい映画はできない。

 こんなふうに考えて行くと、いい映画を作るためには、いい組で作らねばならないが、そのためには素晴らしいスタッフ、会社が集まらなくてはならない。その中に別の価値観を振り回す者がいれば、現場でトラブルが起こり、他のスタッフのやる気を削ぎ。ダメな会社が関われば、根こそぎアウトになる。なかなか、大変なことだ。だからこそ、名作と呼ばれる映画はなかなか出来ないのである。


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 少し映画を離れて考えてみたいが、

 何かを成し遂げるには、やはり同じ価値観を持つ者が集まり、ひとつの方法論を信じることが大事なのだと思える。しかし、日本的発想では「みんなで仲良くやろう」とか「協調性が大事」とかいわれる。それは間違ってはいないのだけど、「みんなで仲良くやろう」は違う価値観を持った人が互いに妥協しながら我慢している状態ではないか?「協調性」も同じ。

 古い価値観が今も通用する分野もある。新しい方法論を用いなければ滅んで行く世界もある。カテゴリーによって、価値観やルールも違う。それを押し付け合うことでトラブルが起きているのではないか? 同じ日本人とはいえ、全く違う価値観や世界観を持っていることが多い。だからこそ、妥協して仲良くすることではなく、同じ価値観を持つものが集まることで、大きな前進ができると感じる。

 批判するヤツ。価値観が違う者。

 古い伝統を押し付ける人。いろんな人がいる。あれこれ主張する者同士が足をひっぱりあっている。だから、大手企業が不振なのではないか? 或いは、社内にいる新しい方法論を持つ人たちが古い価値観に縛られた人たちに足を引っ張られている。でも、集団というのは調和を大事にする。

 そこからも学ぶこと。主義主張の違う様々な人たち、価値観を押し付けるその種の人々と協調、仲良くすることより、理解し合える者同士が前に進むこと。この混濁の時代を乗り切る上でそれが大切なことではないか? と考えている。


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【夢を追いかけるあなたに伝えたいこと。必ず掴める!】 [My Opinion]

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【夢を追いかけるあなたに伝えたいこと。必ず掴める!】

映画監督になりたい! 高校時代にそう思った。では、どーすれば映画監督になれるのか? その話は以前にも書いたが、日本映画黄金時代は映画会社に試験を受けて入社。10年ほど助監督経験をして、ようやく監督をさせてもらうというシステム。黒澤明監督も、大島渚監督らもそのコース。しかし、映画産業が斜陽になってから、そのシステムは崩壊。映画会社に所属する監督はほとんどおらず、社員監督は取らなくなった。

現代は大学や専門学校に映画コースがあり、多くの若者がそこで学ぶ。が、卒業して映画監督になれるものでもない。学校が就職を世話してくれる訳でもない。そこまでは、高校時代にいろんな本や雑誌で調べて分かった。でも、これでは映画監督になる方法が分からない。そこで、アメリカの映画監督の経歴を調べた。スピルバーグは以前に書いたので省く。

ジョン・ランディス(アニマル・ハウス、ブルースブラザーズ)は撮影所でメールボーイをやっていて、そこからチャンスを掴む。コッポラはUCLAの映画科時代から、プロデュサーであるロジャーコーマンのスタジオで働いていて、B級映画を撮るようになった。ジェームス・キャメロンも同じ。ウイリアム・フリードキンはドキュメンタリー映画の会社で働いていた。アラン・パーカーはもともと広告代理店の社員。

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ま、ハリウッドの事例が日本で応用できるとは思わなかったが、調べた。では、日本ではどうすれば映画監督になれるのか? 親戚に映画関係社もおらず、ツテを頼って元映画プロデュサーだった人も訪ねたが、昔の自慢ばかりされて、何の役にも立たなかった。

おまけに帰り際には「まあ、諦めが肝心だな」とまで言われた。そんなこんなで、とにかく、映画の専門学校に行った。大学の映画科も考えて、夏休みに見学に行ったが、そのキャンパスを歩いている学生たちを見て「ダメだ。こりゃ!」と思えて、一番まともそうな専門学校を選んだ。

その頃から僕は傲慢で、その学校も1学期で愛想が尽きた。「こんなところで学んでも何のプラスにもならない!」と18歳のガキなのに、そう感じて登校拒否。当時、ブームだった自主映画を始めた。教室で年老いた先生たちの映画論を聞くより自分で作る方が意味あると思えたのだ。というのも、8ミリ映画を撮っていた学生たちが、メジャー映画を監督するという事件が数年前にあったからだ。

日活で「高校大パニック」を監督した石井聰互。「オレンジロード急行」の大森一樹。2人とも助監督経験はなく、8ミリ映画を撮っていて、いきなりプロの監督に抜擢された。そこにはハリウッドでスピルバーグやルーカスのように8ミリ学生映画をやっていた若い監督がヒットを飛ばしたという背景があり、日本でも若い人にチャンスを!というものだった。

が、その後も、森田芳光、手塚真、今関あきよしら、8ミリ映画出身の監督が続々とデビューした。その波に乗ろうと多くの大学生たちが学生映画を作った。それまでなかった「映画監督への道」が開けたのだ。にも関わらず興味深いのは、監督になりたくて映画学校に通う若者たちは、そんなムーブメントが起きているのに、8ミリカメラを手に取ろうともせず、毎日、勤勉に学校に通い、授業を受け続けていた。

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卒業したからと、映画会社に就職できる訳もなく。当然、映画監督へのパスポートがもらえる訳でもない。なのに、黙々と授業を受ける。意味が分からなかった。のちにその中で監督デビューした者が1人いるらしいが、あとは皆、夢破れて行った。どう考えても目標に向かっていない道をなぜ歩み続けたのか? 僕には理解できなかったが「夢を追う」といいながら、多くの若い人は夢には繋がらない努力をしていることが多い。

といって、学生映画を作ればプロになれるのか?というと、それももの凄く厳しいものがあった。結果としてプロになれたのは20人くらい。それでも僕が高校生のころは「監督への道」は全くなかったので、スゴイと思うのだが、本当に実力のある連中が、それもチャンスを掴むことができ、出会いがあった人たちだけが「監督」へのパスポートを勝ち取り、デビューした。

僕はそこで落ち零れた。まわりでは少しずつ認められて来ていたが、デビューした人たちは、素人なのに、日本全国の映画学生が名前を知るような存在。僕なんて遠く及ばなかった。そんな選ばれた若者たちも、監督した作品がヒットせず。1本で消えて行く者。2本で終わる者が出て来て、スピルバーグのような大ヒット作を監督する者はおらず。業界的にも「やっぱ、8ミリ撮っているくらいじゃダメだな」ということになり、学生映画ブームも終ってしまう。

僕はそのブームの中でデビューすることはできず。大きなチャンスを失う。「映画監督への道」は閉ざされた。まじめに映画学校を卒業した友人たちもスタッフの仕事に着いた者はいたが、多くは映画以外の仕事に就職。夢破れた者がほとんどだった。また、業界に入れても、昔のように10年助監督をしたら監督になるというシステムもなく。そこから監督になった人は僕のまわりにはいない。

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絶望的な状況。どーするべきか? いろいろ考えて「アメリカに留学しよう!」と決意するのだが、ここからが太田物語・第2部「ロスアンゼルス編」になるので、また別の機会に書きたい。波瀾万丈の物語なのだが、いずれ。ただ、この章まででいえることがある。本当に目指すものがあれば、夢があれば、おとなしく学校で勉強しているだけではダメだということ。チャンスがあれば、それに賭ける。そのチャンスをうしなっても、方法論を変え、アプローチを変えて、時代に合わせたやり方でがんばることが大切だということ。

そして本当に夢を追うのなら、5年や10年で諦めないことだ。「えーーそこまでしなきゃダメ?」と思うのなら、今諦めた方がいい。僕の場合はアメリカに6年。帰国してアルバイトをしながらシナリオを書き5年がかりで、脚本家になり、さらに10年かかって映画監督デビューした。自分でも呆れるほど年月がかかった。ま、僕の場合は要領が悪いとか、頑固で、傲慢だから、いろいろと難しかったとは思う。

ただ、言えるのは考えて考えて、考え抜けば、必ず答えが見つかり、道が見えて来るということ。僕は決して一流大学出身でもなく、8ミリ映画コンテストで入選したこともない。それでもたどり着けたのだから、きっと、あなたも夢を掴むことができるはず。大切なのは「努力」ではない「方法論」だ。その正しい方法論で前に進む。そこで初めて「努力」が必要となり、チャンスや出会があって、ゴールが見えて来る。

もちろん、ゴールは新たなるスタートではあるのだが、まずはそこまで行けるはずだ。大事なのは「方法論」ー考えること。そして時代の風を読むことだ。そう思えている。


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【失敗ばかりする人の考え方? 成功に必要な考え方?】 [My Opinion]

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【失敗ばかりする人の考え方? 成功に必要な考え方?】

映画業界で、映画がヒットしなかったとき。プロデュサーはよくこんなことを言う。

「主演女優の***子。思ったほど人気なかったんだよなあ〜」

つまり、主演の人気がないのでヒットしなかったというのだ。が、それはおかしい。その女優を起用したのは、プロデュサー自身だからだ。さらに「思ったほど人気がない」と指摘するのは、彼は「人気があると思って起用した」訳だ。

ということは、人気のない観客動員ができない女優を、人気があると思い込んで起用したら、実は人気がなかったということ。それは女優の責任ではなく、起用したプロデュサーの責任なのだ。にも関わらず「人気ないんだよな〜」ということが原因で、その女優のせいで映画がヒットしなかったかのようにいう。反省ゼロ。責任転嫁。そんな発言を今まで何度も聞いて来た。そんな輩がプロデュサーをしているからヒットを取れない。

さらに言えば、今時、俳優人気で客は来ない。にも関わらず映画の世界では、人気CMに出た***を主演させたり「来年の大河にレギュラーで出る。人気爆発間違いなし」と起用したりする。が、80年代のようにアイドルや人気女優が主演したからと、観客が来る時代ではない。その手の作品は今年も大コケ。にも関わらず、同じ失敗を繰り返すプロデュサーがいる。会社も「あのCMに出ている**子か〜。それで行くか?」とかOKするところが多い。

映画界が不振と言われる理由はそこにある。失敗した原因を追求、反省、分析して次に生かさない。同じ失敗を繰り返す。だが、それは映画会社だけではなく、個人でもよくあること。一般の人たちでも、自分の望みがなぜ、叶わないか? なぜ、夢を掴めないか? なぜ、儲からないか? と思っている人は多い。にも関わらず、理由や原因を徹底して考えずに、諦めたり、間違った答えを出して、いつまでも成功できない人たちが多い。

例えば俳優を目指す。

なかなかプロになれない。そんなとき多くの若者はその理由をこう考える。「世の中甘くない」「夢は結局、夢でしかない」でも、それはおかしい。原因を自身ではなく、なぜ世の中に転嫁しているのか? その前に自身が行った努力や行動を顧みて、分析して、どこかが間違っていたか?を反省すべき。なのに、いきなり、世の中のせいにする。夢は夢だと決めつける。

そんな理由を上げる人のほとんどは、十分な努力をしていないことが多い。というのも、それらの理由は「自分はもの凄く努力したのに、駄目なのは世の中が厳しい」というもの。では、どこまで努力したのか? それをまず考えるべきなのだ。

俳優になりたいのなら、どーするか? 劇団に入る? オーディションを受ける? いろんな方法がある。でも、同じことをする人は多い。業界には美男美女がいっぱい。そんな中でどーすれば目立つことができるか? 仕事をもらうことができるのか? その方法論を考えることが大事。 

ラーメン屋も同じ。

「美味ければ客は来る」と思いがちだが、では「美味い」とはどんな味か? 味にも流行がある。今は何が流行っているのか? とんこつか? 醤油か? 流行はみんなが追う。同じことをしていても生き残れない。では、自分はどんな味で勝負するか? その意味ではラーメン屋も俳優も同じだ。

さらに、どこに店を出すか? どんな店名にするか? どんなカラーの店にするか? 宣伝はどーするか? いろんな要素が大事。それらが客のアンテナに引っかかったとき、店に来てラーメンを食べてくれる。そして嗜好が合えばまた来てくれる。それの繰り返しで、客が増え、人気店になれる。

映画も同じ。いい映画を作っただけでは駄目。人気女優を使うだけでは駄目。どんな宣伝をし、どの町のどの映画館で上映するか? いろんな側面といろんな方法論がある。もし、その選択を間違えれば全ておじゃん! 若い人向けの映画なのに、早朝上映をすればアウト。中高年の女性向けなのにレイトショーも駄目。観たくても映画館に行けない。配給会社はよくそんな初歩的な失敗をする。いくら素敵な映画を作っても、そんなことでヒットできずに終わることがよくある。

どんな仕事でも同じ。

「努力する」「がんばる」というが、無意味な努力やがんばりをいくらしても駄目。具体的な方法論。そして、反省と分析が大事。よく「終わったことをクヨクヨ考えても仕方ない」という人がいるが、そんなタイプは同じ失敗を繰り返していることが多い。なぜ、失敗したのか? どこが計算違いか? あの方法論は効果あったのか? それを徹底して分析、反省して、次に生かしてこそ。大いなる成功に繋がる。と思うのだが.....。


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【人との接し方。次第に難しくなって来た。好意的な人も疑わないといけない?】 [My Opinion]

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【人との接し方。次第に難しくなって来た。好意的な人も疑わないといけない?】

Facebookでのコメント、こんなのが来ることがある。「撮影中に一番大変だったことは何ですか?」「俳優の***さん。悪い噂をよく聞きますが、本当のところはどうなんですか?」という質問。まず、最初の質問だが、映画ファンなら誰でも気になる部分である。そんなときに、その映画を撮った映画監督と「Facebook友達」になった。「よし、聞いてみよう!」とコメントした来たのだ。

が、もし、Facebook友達が警察官だとする。「あの事件。今、話題だな。殺されたのは女子高生。容疑者は元カレ。けど、真相はどうなんだろう?」と警察官の「友達」に訊くだろうか? 警官は職務について第三者に話してはいけない守秘義務がある。では、医者は? 弁護士は? そんな人たちに「あの病気ってどーなんですか? 早めに手術した方がいいんですかね?」「隣の住人の騒音で揉めているんですけど法的対応はどうすればいいですか?」と訊くだろうか?

それは彼らにとって仕事。余暇で行っているFacebook上で尋ねるのは非常識。友人がキャバクラに行ったとき、医者だと分かると、高い酒代を払っているのに、病気の相談ばかりされたとボヤイていた。映画監督も同様に、映画の宣伝時に撮影現場の話をする。どんなことがあったか?何が大変だったか? マスコミ等のインタビューに答える。それは仕事。


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それを一個人が質問して、あれこれ訊くのは、医者や弁護士にプライベートで相談するのと同じ。早い話がタダで仕事をさせているようなもの。が、そこに気づかない人が多い。医者、弁護士と聞くと、すぐに質問してしまう。映画監督というと、すぐに芸能人の裏話を聞く。「ケチ臭いこというなよ」と言われるが、プライベートで仕事をさせる。タダで仕事をするという意味が分からない人が多い。

さらに問題なのは2番目の質問。「俳優の***さん。本当のところはどうですか?」というのは、もう仕事でさえ訊かれないことだ。何で、会ったこともない人にそんなプライバシーを話さなければならない? たぶん、ワイドショーで、レポーターが芸能人たちにいろいろ聞いている場面を思い起こし、俳優のプライベートを訊くのは悪いことではないと思ってるのだろう。

だが、タレントもプライベートを答えることで、テレビに出られる。今、やっている仕事のPRになる。だから、嫌なことでもレポーターに答えるのだ。ギブ&テイクの関係。一般の人が訊いても答えない。それを勘違い、同じことをFacebook上で訊いて来る。

極々、親しい僕の友人が「***さんってどうなの?」と訊いてくることはある。それは長年の付き合いで、親しいから訊いて来る。でも、言わないのだけど、その「Facebook友達」は会ったこともない方。「申請」からもせいぜい1年。そんな人がなぜ、俳優のプライベートを訊いてくるのだろうか? 

だが、僕も反省がある。Facebook上ではなく、いろいろと応援してくれる一般の人たちと飲み会をした。とても信頼できる人たちなので、撮影現場の大変さなどを話した。***さんが***さんと付き合っているなんて、話はしないが、ちょっと面白い現場での話はオフレコと断ってした。にも関わらず、その1人が翌日のブログにその話を書いてしまった。注意すると「え?マズかったですか?」と罪の意識がない。


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これも先と同じ。ワイドショーでは芸能人のスキャンダルが毎日、放送されているので、あの程度のことなら問題ないと思ったらしい。が、オフレコといって話したことを、わざわざブログに書く。実は週刊誌の記者だった!というのなら分かるが、カタギのサラリーマンさん。そこに何のメリットがあるのか? 訊くと「面白い話だから!」といい「オフレコと言われたのを忘れてました」と笑顔。それ以降、その種の会で僕が話したことは一切、書かない、漏らさないというお願いをするようにした。

「そこまでしなくても?」と思う人もいるだろう。例えばこんなのはどうだろう?「女優の***さんがタバコを吸っていた」と誰かがブログに書いたとする。「別に問題ないでしょう?」「批判をしている訳じゃないし」と思う。だが、年配の人が読めば「若い娘がタバコを吸うなんて不謹慎だ」と思うかもしれない。或いは「**さんって清純派なのにタバコ吸うの? インタビューでは吸わないっていってたのに?」と思う人もいるだろう。

ネットで発信するというのは、本当にいろんな人が読むということ。どんなまっとーなことを書いても、ねじ曲げて理解する人もいる。それも一般の人が噂を聞いて書くならまだしも「昨夜、太田監督が***さんは・・・・と言ってました」なんて、書かれると、えーマジ? ということにもなる。それも僕の言ったことが全然違う話になってたりする。先方にも迷惑をかける。つい先日も、言ってないことを「太田監督は常々、こういっている」とFacebookで書かれたばかり。

僕ですら、そんなことがあるのだから、有名人は余計に気遣わねばならない。だから、人嫌いになり、プライベートを隠し、壁を張り巡らせて密かに生きようとするのだ。まあ、僕はそこまで行かないが、人に注意するばかりでなく、自身も注意せねばならない。特にネット。宣伝ツールとして、Facebook等には毎日、記事を書いているので、いろいろ考えて書かねばならない。あらゆる視点で読み直して、誤解がないか? 拡大解釈されないか?考える。でないと、思わぬところで、誰かを傷付けることがある。なかなか、難しい問題だ。

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【ネットでの質問やコメントに答えて、嫌な思いをした経験ありますか?】 [My Opinion]

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【ネットでの質問やコメントに答えて、嫌な思いをした経験ありますか?】

ボーダーライン人格障害の勉強をして。被害者が大変なのは、患者が友人知人にあることないことウソを交えていい触れまわり、信頼を落とされるということ。職場や友人関係も混乱を来す。自殺をほのめかされて振り回される等の直接な被害。

それだけでなく。患者と縁を切ったあとも、後遺症に悩まされることがある。親切で、明るい人と次に出会ったとき「この人ももしかしたら...」と疑心暗鬼になってしまう。ボーダーは最初、相手を絶讃し近づいて来て、取り入ろうとするからだ。

その部分はボーダーでなくても、感じることがときどきある。Facebookでも、Twitterでもそうなのだが、最初は好意的なコメント。「映画見ました!素晴らしかったです。****はどんなふうに撮影したのですか?」とか書き込まれたり、ツイートされる。うれしくて、それに返信すると絶讃、返事のキャッチボールになる。と、急に作品への批判が始まる。

「でも、***シーンってかなり酷いですよね?」「あそこは安易に撮影していませんか?プロなんでしょう。恥ずかしいですよ!」とか言い出す。ここで急に返事をしないと、非常に無礼な終わり方になってしまう。が、先方はそれを狙っていて、最初から酷評したくて、好意的なコメントを書いて、こちらが乗るのを待っていたのだ。

もし、答えると他の部分に対するさらなる酷評が来る、気分の悪い意見を聞かされる。以前それに引っかかり、頭に来たので、途中でブロックしたら「監督は逃げだした〜。俺の勝利!」とか書かれた。勘違いした映画ファンが直接監督に文句を言って、非力を思い知らせてやろうという悪意あるものだったのだ。

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少し違うが、Facebookでも質問を書き込まれ、答えると、また別の質問が来て、答えるとまたさらに質問。そのうちにプライベートなことまで聞かれて困ったこともある。こんな場合。途中で打ち切ると「失礼だろ。質問に答えろ!」と怒り出す人がいる。会ったこともない人にあれこれ聞いていいことと、良くないことが分かっていないのだが、それを諭すのもまた時間も労力もかかる。

そんなふうに好意で質問に答えてもトラブルになったり、嫌な思いをすることがときどきある。中には、最初から議論したくて質問してくる人もいる。が、僕はネット上での議論は無意味だと思っている。映画論や作品論。まして自作について、正体も分からない奴があれこれ批判してくるのを解説するのはバカらしい。だから、なるべく答えない。

ただ、本当に純粋に質問して来る人もいる。まあ、「自分で調べろ!」というものも多いが、いい質問もある。でも、それに答えるとまた質問攻めにあったり、誹謗中傷が始まるかも?と思うと、答えるのをためらってしまう。これ、ボーダー被害の後遺症と同じ。人が信じられなくなる。特にネットでは相手のことが分からない。悪気はないが常識のない人もいる。

返事を無断でブログで公表。「太田監督が***さんを批判している」と言ってもないことが文章にされたこともある。それ以来、ダイレクトメッセージには答えない。コメントも背景の分かる方や本当に気が向いたときしか答えない。

人はネットを使うと、無神経になり、日常以上に、あれこれプライベートを探り、グーグルで検索できることをわざわざコメント欄で質問する。中には誹謗中傷が最初からの目的という人もいる。ますます、返事ができなくなって行く.....。


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【目先のことに囚われてしまう人。考える力が大切な時代ではないか?】 [My Opinion]

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【目先のことに囚われてしまう人。考える力が大切な時代ではないか?】

もう25年ほど前になる。アルバイトをしながら、シナリオライターを目指し、脚本を書いていた頃の話だ。映画業界で仕事をする先輩が訪ねて来た。僕より10歳ほど上。一世代先輩。面倒見のいい人で、いろいろと応援してくれていた。信頼できる先輩ではあるのだが、少しばかり問題がある。

僕の部屋を訪ねたときのこと。アルバイトしながらシナリオを書いているので貧しく暮らしているという話をすると、「太田。お前、そんなに貧しいんだったら考えないと駄目だ!」と怒り出したのである。

「ビデオデッキはある。6畳の風呂付きアパートに住んでる。こんな贅沢をして、何が貧しいだ!」

が、先輩の指摘は正しくない。彼の青春時代は風呂屋通いは当然、下宿アパートは4畳半だったので「贅沢だ!」というのだが、時代が違う。今、風呂なしの4畳半のアパートを探す方が大変。また、風呂屋の料金も高く、毎日風呂に入ると、風呂付きアパートに住むのと変わりない出費になる。

ビデオデッキにしても、先輩の時代は高級品であり、20万とかしたこともある。が、今は新品でも1万弱で手に入る。それに脚本家を目指している人間が貧しいからと、ビデオデッキを持っていないなんて許されるだろうか?ドラマや映画を録画して、勉強することが大事。先輩は「貧しければビデオを売れ!」というが、売っても何千円にもならない。それよりビデオを駆使して勉強する方が意味がある。

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また、先輩はこういう。

「そんなに貧しいなら、もっと狭い部屋に引っ越せばいいだろう?」

これも変。先にも書いたが、風呂なし4畳半のアパートを探すのは大変。実は友人が住んでいるので、実在することは知っているが、そこはかなり都心から離れているが、脚本の売り込み、先輩を訪ねる。映画を見に行く等で新宿や渋谷にはしょっちゅう行かねばならない。家賃が安いからと、遠方に住んでも、結局、電車代が馬鹿高くなり、都内周辺に住む方が安上がりということになる。

また、引っ越しをする資金が何万もかかる。敷金、礼金とか東京では家賃1ヶ月分の6倍が必要。「貧しい」という人間がそれを払うのはかなり厳しい。長い目で見れば、引っ越した方が生活は多少楽になるが、その引っ越しにかなりの額がかかることを先輩は考えずに「だったら、引っ越せ」というのだ。

つまり、先輩は自分が若かったときと当時の僕を比較して「贅沢だ」といい、「デッキを売れ」というが、大した金にはならず、勉強もできなくなり。風呂なし4畳半に住めというが、風呂代や交通費が余計にかかるので節約にはならず、引っ越しをするためには多額の費用がかかる。どれも、的外れなアドバイスなのだ。

「うるさい! 口答えするな!」

と言われたが、帰りに段ボールいっぱいの食料品を買ってくれた。ありがたい。とても、いい先輩なので感謝はしているが、先輩の考え方は間違っていることが多い。憎めない人なのだが、この種のタイプはあなたのそばにもいるのではないか?

決して先輩は頭が悪い訳ではない。が、ものごとを表面的にしか見ていない。年取った人がバイトしている大学生を見ると、「勉強しながら働いて偉いね」というが、学費を稼ぐのではなく、遊ぶ金ほしさにバイトしているだけ。でも、そのお年寄りが若い頃は苦学生が多かったので、それをダブらせて褒めてしまう。バイトする学生は決して偉くはない。が、時代が違うこと把握しないとそんな感想を持ってしまう。

先輩も同じ。今の時代、ビデオデッキ=贅沢品ではない。むしろ映画の仕事をしたい人間がデッキも持っていないのは努力していないという気がする。ちょっとがんばれば、誰でもデッキは買える。また、売っても大した額にはならない。アパートも4畳半風呂なしの方が安いのは事実だ。が、都心にその手のアパートはほとんどない。あっても、風呂屋通いをすると、安くはなくなる。3日に1度しか風呂に行かない若者。昔は許されたが、今ではバイト先で嫌がられる。

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「この中古車は安い!」

と思って買ったら、ガソリンをもの凄く食って、新車を買う方がむしろ経済的だったというようなもの。それで自分が損するのは構わない。が、その考え方を後輩に押し付けるので、その先輩はいい人なのに、皆に煙たがられる。要は洞察力や判断力に問題があるのだ。これまでも何度も書いたが、決してバカではないのに、考える力に乏しい大人がたくさんいる。

ものごとの一面だけを見て判断したり。時代や国の違いを無視して評価する。目先のことに囚われて結果として、利益を得られない。これは日本の学校教育の影響があると思える。つまり、与えられたことをやる。与えられた方法論でやる。自分で問題点を見抜き、対処を考えなくてもいい。与えられないことはやる必要がない。

そんな教育の中で成長してくると、上から言われない問題には気づかず、生活してしまうのだ。映画の世界でも、俳優でも、芸人さんでも、成功するのは「芸」に秀でた人だけではない。業界のシステムを理解し、自身の能力を把握。それをどのようにアピールして、力を発揮して行くか? を考えている。言われることしかできない人はやがて捨てられる。問題があることを気づかずに、その枠内で仕事をしていると大変なことになる。

なぜ、大変なことになるのか? なぜ、うまくいかないのか? どうすれば実力を発揮することができるのか? それを考える力が必要とされる時代なのだ。昔通り言われたことをやっているだけでは、大変なことになってしまう。

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【なぜ、人は人を批判するのか? 自分が知らないことにまで口出しするのか?】 [My Opinion]

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【なぜ、人は人を批判するのか? 自身に関係のないことまで口を出してくるのか?】

Twitterではときどき攻撃的なリツイートをしてくる人がいる。「向日葵の丘」の映画館情報をツイートしたときも「どーせ、下らない映画なんだろ?」とかリツイートしてくるヤツがいた。

ハンドルネームは嘗めたものだし、アイコンはアニメキャラ。念のためにその人のツイートを確認するが、世間への文句ばかり。これは即ブロック。ツイートを欲求不満のはけ口にしているタイプだ。

その点Facebookは相手の身元が分かる。と思っていたのだが、そうでもない。「基本データ」を調べると、住所も、年齢も、仕事も記載されていない。顔写真は動物ーネコとか犬とか。名前も本名かどうか?分からない。そんな人があれこれ首を捻るコメントをしてきたり、勘違いなダイレクトメールを出してくることが多い。

僕の生活面や記事に対して叱咤してくる人が時々いる。が、相手がどんな人か?分からない。年上なのか? 若い人なのか? どんな仕事をしている人なのか? 例えば医療の話で、それを指摘して来た人が、医療関係なら少しばかり失礼なコメントでも読むべき意味はある。でも、何の知識もない人なら、真剣に受け取る必要はない。つまり、相手は覆面をして、顔を見せず、素性も年齢も、住んでいる場所さえ分からない。そんな人に説教されたくはない。

では、そんな人たちはどう考えてコメントしてくるのか? 彼らの立場に立ち考えてみた。僕のFacebookを見る。履歴や職業は「基本データ」を読めば分かる。「この人は映画監督か...そこそこ映画も撮ってるけど、どれも聞いたことないなあ。何だか偉そうな文章を書いているけど、そうとは限らないだろう? 何か勘違いしてんじゃないの? 誰か注意してやらないと、調子に乗って大変な目に合うよ〜。よし、俺がいってやろう」と思ったりしてコメントしてくる。

これはあの構図と同じ。テレビ番組を見ていて文句をいう人たちと同じなのだ。「この子、アイドルグループのメンバーというけど、可愛くないじゃん。これでアイドルなんて笑える。私の方がまだ可愛い。なのに、可愛子ぶってムカつく。テレビ見ている人はみんなそう思うよ。こんなの出してる局って分かってないねえ。一言注意してあげるか?」とクレームの電話したり、メールを出したり。

つまり、ネット上で「お前誰?」という文句をいってくる人というのは、テレビを見て文句をいう感覚でネットを捉えているのだろう。特に僕の場合は映画監督業という仕事なので、テレビに出ているタレントたちと同じ感覚で認知されてしまう。ネット世界の有名人も同じ。だから、攻撃されやすい。一般の人が相手でもネットで接すると、テレビタレントと同じ感覚に陥り平気で酷いことがいえる。

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実際に会うと控えめな僕の友人も、ネットでは無意味なオヤジギャグを連発する。これも同じで、よく知らない人に対して「馬鹿じゃねえの?」とは言えないけど、芸人がテレビに出ていると「バカだな〜」といえるのと同じ感覚。でも、テレビに映っている芸人に声は届かないが、ネットの相手を批判すれば、届く。考えれば分かることなのに、無意識にテレビ感覚になっている人が多い。

つまり、現実に人と会えば「この人とは初対面。年上だ。それなりの立場の人だ。***に関して詳しい」とか、考える。さらに「僕は若い、その分野は詳しくない、単なる一市民だ」とか自身のことを顧みて、相手に意見する立場ではない。「年上の人に説教すべきではない」「知らないことを反論すべきではない」と考える。それがパソコンに向かうと、そんな発想はなくなりテレビ感覚で、番組に出ているタレントを批判するように、何でも言えてしまう。

だが、その種の人たちに悪意はない。テレビに向かって悪態をつくのも憂さ晴らしであり、誰にも迷惑をかけない。テレビ局に電話をかけても、反論されずおとなしく聞いてくれる。ただ、それをネット上でやってしまうと問題が出て来る。相手を怒らせる。ブロックされる。反論される。友達がほしくて、始めたFacebookでも「友達」ができない。ということになる。そんな可哀想な、或いは不器用な人たちなのだ。ただ、この人たちを優しく受け止めると大変。

勘違い気づかず、当て外れな批判を続ける。「あんたのために言ってるんだよ」という気分のまま、慣れ慣れしく、上から目線でコメントやメッセージがくる。こちらからすると、やはり覆面をしたヤツにあれこれ、思いつきで批判されているとしか感じない。「僕のことを思ってあえて、厳しい提言をしてくれている」とは解釈できないし、実際にそうではない。でも、相手は気づかない。

結局、その種の人たちの多くは自分の立場を把握せず、コミニュケーション能力に少し欠け、「憂さ晴らし」であるのに本人的には「親切」と思い込んで、他人をあれこれ批判、説教しているのが実情だろう。そんな人は無視するか? 削除するしかなくなる。だが、そう書くとまた別の人から「心が狭い!」「冷たい」「その人も寂しいのだから優しくして上げたらいいのに」「本当は監督と仲良くなりたいかもしれないですよ」とかいうコメントやメールが来る。だが、僕は問題児学級の先生ではない。

1人2人ではない無礼なコメントに対して毎回「本当はいいヤツだ。分かって上げよう!」という対応はできない。返事するだけでも、時間を取られる。状況の理解を求めるだけでも、かなりな時間と労力が必要。さらに、相手は「親切でいっているのに!」と逆上して、さらに揉める可能性もある。

仕事でやるべきことは山ほどあるのに、それはできない。僕の仕事は映画製作だ。いや、誰だって同じ、相手にしたくない。だが、日本人にはそんなタイプが多く「大きなお世話」ということが好き。それはいい面でもあるけど、現代社会に置いては意味をなさないことも多く、むしろ事態を悪くしているだけのことが多い。そんな人たちの多い現代社会で、どのように対応し、生きて行くべきなのか? 考えてしまう。


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