So-net無料ブログ作成

エリカ役の百川春香さん。11月1日がお誕生日でした! [MA]

540389_720370304703943_8704902067652737166_n.jpg

「向日葵の丘」にエリカ役で出演してくれた

 百川晴香さん

 11月1日がお誕生日でした。

 遅くなったけど、おめでとう!!

 

扉.jpg

才能なんて存在しないが、センスは大切。センスがなければアートはできない。 [MA]

10514556_720057641401876_4315788554766043553_n.jpg

今回、MA作業をしていて痛感したこと。作業をしてくれるオペレーターさん。そして音楽家さんのセンスの凄さだ。そのシーンの終わりかけで音楽入るのか? 終わった直後に音楽が入るのか? 1秒しか違わないのに、それで大きくイメージが変わる。彼らのその判断。本当に見事! 彼らにズバ抜けたセンスがあるからできるのだ。

だが、センスというのはむずかしい。「この場面いいなあ〜センスある!」と思う人がいれば「別になんてことないよ〜」という人もいる。その場面の良さを言葉で解説することはできない。それは感じるしかないこと。そして、これが正解という形もない。決まりや文法もない。

なので、5人のスタッフがいても、4人がセンスのない場合。「音楽はシーン終わりから出ればいいんじゃない?』といい、監督が認めれば、その場面はセンスのないダサい形となる。が、それに彼らは気づかない。

映画館で上映すると、センスのない観客は「別になんてことないけど?」と思うが、センスがある人は「このシーン。最悪!」と感じる。往々にしてセンスのない人間が映画を駄目にすることが多い。分かる人には分かってしまうのだ。

僕自身。鋭いセンスがあるかどうか?は分からないが、こだわる。だが、プロデュサーはなぜか?センスがない人が多く、センスのないアイディアを押し付けたがる習性がある。なので、編集やMAではよくぶつかり、何度か殺そうか?と思ったことがある。

本当にセンスを説明することはできない。が、アートをやるなら絶対に必要。以前に「才能」なんて存在しないという記事を書いたが、才能はないが、センスは存在する。センスは残念ながら努力で得ることはできない。生まれつきのもので、センスを磨くことはできても、センスのない人が修行しても見につくものではない。

アメリカ映画でも「この監督、センスあるな!」と思ったら、イタリア系だったりする。その辺、努力では勝てない。日本でも音楽や広告業をやっている人にはセンスある人がよくいるが、なぜか?映画界は少ない。

だが、先日のMAでのオペレーターさんは凄かった。おかげでもの凄くいい作品になった。音楽の入れ方だけではない。その場面で流れるいろんな音。どれを大きめにして、どれを低くするか? 音楽と台詞のボリュームの比率、これら全て感覚だけで決める。その人のセンスが問われる。単に台詞が聞き取れる音量にするのは簡単だが、音楽や音との兼ね合いはセンスが大事。

今回、一番むずかしかったのは、ラストカットのどこで音楽が流れるか?だった。それひとつで、観客が「素晴らしい!」と思うのか? 「あ、これで終りね?」と思うのか?が決まる。そのパターンを何週間も僕は考えた。が、そのアイディアより、音楽家さんのアイディアの方がさらによかった。そのポイントで音楽が始まれば涙が溢れるのに、そのあとでスタートすると涙はでない。そのくらいに違うのだ。

中学時代にラジオで「淀川長治のラジオ名画劇場」というのがあり、毎週聞いていたのだが、そのとき淀川さんが「一流のものを見なさい」とよく言っていた。当時は理由が分からなかったが、今は分かる。一流はセンスが違う。それは教科書では学べない。本物を見るしかない。安易なテレビドラマしか見ないと、センスは磨かれない。だから、淀川さんはビスコンティを見ろ、歌舞伎を見ろと言っていたのだ。

確かに、海外アーティストのライブとかいくと、そのセンスに驚愕することがある。そんなこと思い出した。。


扉3_edited-1.jpg

向日葵の丘ー監督日記 MA作業で音楽を入れるとまた感動! [MA]

64754_722241544516819_370501156572184737_n.jpg

さて、音楽が完成し、SE(効果音)も用意され、MAスタジオで録音ということになった。事前に音楽やSEを映像に着けたものをまず見せてもらう。それをもう少し前にずらして!とか、そのSEは大き目の音で!とか、希望を伝えて、直してもらう。それで1ロールが済むと頭から流して録音。それを10ロールほど繰り返す。

初日に録音したとっとこ3人娘の歌も映像に着ける。アフレコしたものも貼付ける。編集時にもう50回以上も見た映像が、また新鮮に見えてくる。映画館で見ると、当たり前のように聞こえる。いろんな音。そのほとんどはこの段階で着ける。音があることで、世界観が出てくる。

蝉の声は夏を感じさせ、カラスの声は夕方を感じさせる、虫やカエルの声は夏の夜。それらを着けることで「1983年夏」の世界が広がって行く。今回も音楽が素晴らしい! まるでロンドフィルが演奏するような交響曲。ある映画音楽が今回のイメージだったが、音楽家さんが、そこからイメージ。同じ方向だが、全く別の曲を書いてくれた。それが映像に合わせて流れると、感無量だ。やはり、音楽はもう一人の主役。

結局、作業は2日かかって終了。本来ならここで映画は完成なのだが、まだ、映像の処理が終わっていない。カラコレが現在も進行中なのだ。それが終わり、その映像に、今回できた音(音楽とSE等)を着ければ、ようやく映画は完成となる。あと一息だ。


扉.jpg

「向日葵」日記   エリカ役の百川春香さんのユニット! [MA]

540389_720370304703943_8704902067652737166_n.jpg


MAに来てくれたヤング・エリカ役の百川さん。

アイドル・ユニットの青春トロピカル丸で活躍中。

そのCDをもらったのでサインしてもらった。ご紹介! 

ぜひ、聴いてほしい。


扉.jpg

向日葵の丘ー監督日記  ラストシーンが駄目なら全てが終わる? [MA]

IMG_1673.JPG

そんな訳で映画の音楽にはこだわる。先にも書いたように先輩監督たちの多くは映画に音楽をつけるとき、音楽家さんにこう注文する。「ここはちょっと間延びしているシーンだから、音楽を入れてほしい」「ここは何か悲しい曲を入れて、主人公の悲しみを伝えたい」「ここは何となく後ろで音楽が流れていればいいから」中には、音楽家に全てお任せという監督もいる。

で、僕の場合を紹介する。どちらが正しいということではない。監督にもいろんなタイプがあり、いろんな方法論がある。ただ、僕の場合。よく知る先輩監督たちとは少し違う。

まず、編集中から映像に既成の曲を当ててみる。映画やクラシックでイメージする曲を探し、それを貼付ける。そして編集が終わったら、物語の盛り上がるところは音楽も盛り上がるように曲も編集。出来る限り、シーン終わりに音楽も終わるように着ける。

通常は編集が全て完成してから、音楽をどうするか?考えるのだが、僕の場合は編集時からどこに音楽を流すを考えて、音楽が生きるような編集にする。というのも、編集時に音楽を考えないと、ぎちぎちに編集してしまい、音楽が入る余地がないほど詰めて編集してしまう。映像だけで見ていると間が持たないからといって詰めて行くのではなく、音楽を入れることでそのシーンが完結するところもあるのだ。

台詞のないシーンでも、俳優の出てこない風景カットでも、そこに音楽という第二の主役が登場することで、意味ある場面になることもある。映画の主人公は俳優だけではなく、音楽も、風景も、音も、ときとして主人公になるからだ。それを俳優の演技だけで、編集してしまうと、何だか、テレビのホームドラマのように、会話だけで成立している物語になってしまう。


そうやって編集を終え、仮の音楽を着けたら、音楽家さんと打ち合わせ。個々の音楽について説明する。仮に着けた音楽はあくまでも仮であり、それに似た曲を書いてほしいという意味ではない。方向性、テイスト、匂い、そんなものを伝えるためのものだ。で、音楽家さんはこう訊く「この金管楽器はなくてもいいですよね?」うん。仮の曲にはトランペットが入っていても、その楽器を使うことがリクエストではない。また、逆に「ここはピアノで」とお願いすることもある。

そして、音楽が始まる位置。終わる位置を説明。絶対にフェードアウトで終わらないようにお願い。それから大事なのは音(SE)との兼ね合いである。映像に映っていないが、犬の声「わおーーーーーーん」というのを入れて、一拍置いて、♫ダダーーーンと入るとかいうことも伝える。

「ゴッドファーザーPARTⅡ」のラストも、落ち葉がパラパラパラパラ.....と風に飛ばされて行く音があって、あのテーマソングが入るのがいい感じだったし、「PARTⅢ」では最後、マイケルの叫び声はオフになって、インターメッツォが流れるのが鳥肌ものだった。音との兼ね合いも大事。

ただ、本来、音楽家さんはそこまで指定されるとやりにくい。位置は指定するにしても、だいたいのイメージだけ伝えて、自由にやる方がやりがいがあると聞く。とはいえ、全然、イメージの違う曲を書いて来られても適わない。それだけで、全てが崩壊するということがある。

あるヤクザ映画。1曲だけクラシックを使っていて、とても重厚でいい感じなのに、他の場面はギター1本。映画のクオリティを数段下げていた。全編をクラシックにすればもっとよかったのに....と思ったことがあるが、どんなにがんばって撮影しても、音楽がマッチしないと、そこまでの苦労は全て水の泡となる。

もうひとつ大事なのは、音楽が始まるタイミング。これが決まると、見ていてもの凄く感動する。特にラストは大切。主人公、振り返る=>音楽が始まる=>見上げる空=>白くフェードアウト=>クレジット=>同時に、音楽盛り上がりメーンテーマ!これはひとつタイミングがズレてもアウト。センスの戦い。


海外では、コッポラが凄い。さすがイタリア系で父親が作曲家で指揮者だけのことはある。イーストウッドもうまい。が、どちらかというと、アメリカよりヨーロッパの方がセンスがいい。「太陽がいっぱい」のラストなんて本当に凄い。「セニョール、リプレー」と呼ばれて、アランドロンが立ち上がり、微笑む。そしてフレームアウト。ニーノロータの曲が盛り上がり、「FIN」の文字。もの凄いセンス。

日本では北野武監督。「HANA-BI」の終わり方は本当に鳥肌もの。逃亡犯のたけしさんと、岸本加世子。波打ち際のベンチに座る。音楽が流れ始める。カメラは引きになり、パーンして海を映す。音楽が終わり波の音だけが聞こえる。「これで終わるんだなー」と思っていると、ピストルの乾いた音が二発「パーンパーン!」驚いている少女の顔(北野さんの本当の娘)フェードアウトではなく、いきなり暗転。悲壮な音楽がゆっくりと始まり、クレジット。「参りましターーー!」という見事なエンディング。これは音楽と音の見事なコラボで初めてできる芸当なのだ。

そんなふうに、音楽もただ着ければいいという訳ではない。付け方で大感動したり、「だから何?」と不満しか残らない終わりになることもあり。大きな差が出るのだ。エンディングも、1度音楽が終わり、クレジットが始まり、エンディングテーマという形もあれば、その曲が続いたまま、クレジットに入ることもある。

「ストロベリーフィールズ」は映画の最後のシーンの途中で主題歌が流れ出し、そのままクレジットに入る。「青い青い空」では物語最後に流れる曲のまま、クレジットが始まる。「朝日のあたる家」も同じだ。

本当にラストシーンというのは大事で、それで外すと、そこまでどんなによくても、全てが駄目になり、印象が悪くなる。「新幹線大爆破」という映画。めちゃめちゃ面白いのに、ラストシーンの音楽の入り方が全てをぶちこわすセンスのなさ。それに対して「太陽を盗んだ男」は見事な幕切れ。音楽の入り方だけで、名作となるとさえ思える。

そんな感じで「向日葵の丘」も音楽を依頼。MA時にスタジオで映像と合わせる。音楽が素晴らしければ、映像×音楽=3倍にも4倍にもクオリティが上がる。その意味でも、MA作業は楽しみだ。。


扉.jpg


「向日葵の丘」監督日記ー映画音楽③ 物語の世界観を歌で例える? [MA]

10462907_721765714564402_271317882700732973_n.jpg

前々回の①で少し書いたが、新作の物語を考えるとき、ストーリーも大切だが、まず、アイディアが決まったら、その作品の世界観を考える。空気というか、匂いというか、明るさや、雰囲気。それが映画にとって大切。

名作映画を思い出してみると分かるが、それぞれに個性がある。だが、それを言葉で表現するのは非常にむずかしい。そこでいつも、誰かの歌を選び、自分なりの指針とする。

「ストロベリーフィールズ」はカーペンターズの「青春の輝き」はかなくも美しい、10代で死んで行く少女たちの物語はまさに、あの歌のイメージ。エンディングの主題歌もその線で作ってもらった。

「青い青い空」はスプリングスティーンの「ハングリーハート」。ポップな歌で、みんなで歌える(コンサートでは必ずブルースが客に歌わせる。が、日本人には歌詞がむずかしく、東京公演では皆で合唱とはいかなかった。僕もサビ以外は歌えない!)でも、それでいてロックな歌。そのイメージでシナリオを書いた。

「朝日のあたる家」はもともとアニマルズの歌。でも、物語のイメージはスプリングスティーンの「ザ・リバー」。あの歌はまるで1本の映画のようなストーリーがあり、胸に突き刺さる。ひたむきに生きようとする若い青年。やがて結婚。でも、貧しさと不幸の悲しい物語。「朝日」の平田家がダブる。

そして今回の「向日葵の丘」これはストーンズの「タイム・ウエイツ・フォー・ノーワン」ネタばれするといけないので詳しく解説はしない。が、この歌をご存知の方でシナリオを読んでいれば「あ〜なるほどね〜!」と思うだろう。

映画は映像であり、音であり、音楽であり、芝居。でも、スタート時はシナリオという印刷物。活字で全てが表現されている。その段階で、映画の匂いやテイストを伝えるのはもの凄く難しい。また、自分の中でも、まだ物語の世界観が完全に出来上がっていないので、こんなふうに歌を決めて進める。というのが僕のやり方だ。


扉.jpg

「向日葵の丘」監督日記ー映画音楽②Rストーンズのライブのような、感動の連続の映画はできないか? [MA]

10407856_721752617899045_4105276358449355715_n.jpg

通常のコンサートというと、そのアーティストのニューアルバムが中心に演奏が進み、最後の1曲。あるいはアンコールでヒット曲を演奏。盛り上がるというパターンが多い。が、ローリングストーンズになると、ヒット曲がたくさんあるので、最後はヒット曲の連べ打ち!状態。もの凄く盛り上がる。

映画もそんなふうにできないか?と考えていた。コンサートで最後にヒット曲を演奏というのは、映画におけるクライマックスと同じだ。そこまでは多少退屈な曲が演奏されることはあっても、ラストに盛り上がれば観客は満足する。映画でもクライマックスに派手なアクションシーンがあれば、入場料チャラ!みたいな。

ストーンズでいえば、「STEEL WHEELS」ツアーのとき。最後は「イッツ・オンリー・ロックンロール」「ブラウンシュガー」「サティスファクション」そしてアンコールが「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」という大満足のエンディング。クライマックスが何度もある。映画でもそんなふうにできないか?と考えて、通常は一度のクライマックスを2度3度ある物語を作りたいと思った。

これがアクション映画なら簡単だが、僕が作るのは青春映画。どうやってクライマックスを何度も作るの? で、考えたのが、感動して泣けるシーン。通常はラストに1回だ。病気の主人公が死んで、悲しい。涙。そんな感動するシーンを複数作ることができないか?

それを実現したのが、一連の僕の作品。「青い青い空」は職員室での生徒VSハマコー先生のシーン。無事に大会に出られることになった!「やったー」でも、それで終わりではなく、大会の日に母と真子が和解。ホロっとさせる。さらに八代先生のスピーチ。ぐっと来る。そして、「やらまいか!」書道デモンストレーション。それが終わってからも観客のスタンディングオベーション。と、感動シーンがいくつも続く。

これは映画でローリングストーンズのコンサートの盛り上がりパターンを実践したものだ。何とか、あの重量感ある大満足のコンサートに近い、感動の連続がある映画ができないか?と考えた。「朝日のあたる家」も同じように、後半1時間は涙の連続。コンサートで言えば涙のヒット曲の連打である。だから、僕の映画のほとんどは、後半1時間は毎回、涙の連続となる。

でも、それを続けることは作家にとって、もの凄く辛い作業。観客をラスト1回涙させるだけでも、なかなかうまく行かない。それを何度も泣かすなんて普通、ありえない。あり得ないをするから、神経も魂もすり切れる。だから、髪が真っ白になり、映画が完成すると過労で倒れ、医者から「冗談じゃなく、過労死するよ! 休みなさい!」と怒られる。

だが、新作の「向日葵の丘」も後半1時間は涙の連続になった。辛い涙。悲しい涙。感動の涙が溢れる。間もなく完成。お楽しみに!!

扉.jpg

「向日葵の丘」監督日記ー映画音楽についてのこだわり [MA]

IMG_6558.JPG

映画における音楽の話。続ける。先輩監督たち、不思議なくらいに音楽に興味がない。が、その分。本はよく読む。映画の原作となる小説を探すために、名作、古典、話題作と本当によく読んでいる。

「今、ベストセラーの****読んだ?」

とかいわれるが、なかなか「はい」」と答えられない。「勉強不足だなあ〜」と。ただ、先輩たちは音楽を聴かない。映画は衛星放送まで引いて見ているが、オーディオセットがない人も多い。そんな背景があるので、日本映画には有名な映画音楽が本当に少ないのではないか?という話を前回書いた。

そんな先輩監督。映画に音楽をつけるとき、音楽家さんにこう注文する。「ここはちょっと間延びしているシーンだから、音楽を入れてほしい」「ここは何か悲しい曲を入れて、主人公の悲しみを伝えたい」「ここは何となく後ろで音楽が流れていればいいから」中には、音楽家に全てお任せという監督もいる。

え? そんなことでいいの? と何度も思ったが、多くの先輩たちは音楽にあまり関心がない。でも、それが映画の仕上げ作業の普通の光景。だから、僕が監督をしたら、いろいろうるさく言って、皆、嫌がるだろうなあ.....と思えていた。

というのも、自主映画時代。8ミリ映画を撮っていた頃。音楽を作ってくれる人はいないので、規制の曲を使うのだが、多くの仲間はヒット映画の音楽を使い、シーンの長さに合わせてフェードアウトするというやり方をしていた。が、それが嫌だった。音楽が終わっていないのに、そのシーンが終わるからと、音楽をフェードアウトするのは気持ち悪い。だから、音楽自体を編集。シーン終わりに音楽が終わるようにする。

そして、その場面で盛り上がるところは音楽も盛り上がる。でも、規制の曲は都合よくいかない。盛り上がりで合わせても、別の部分で画面と合わなくなる。その辺をピタリと合わすために、音楽を編集する。あるいは映像の方の編集を変えるというやり方で、映像に合わせて作曲したかのような仕上がりにしていた。もちろん、プロの機材も何もないし、レコードにカセットの時代。パソコンもない。だから、ものすごく時間がかかる。毎回、半年ほど。音楽と映像合わせに格闘。でも、そうやると、見ていて違和感なく、気持ちが物語についていく。

自主映画の音楽でもうひとつ大切なこと。それはヒット映画の音楽を使わないことだ。いくらアクションものだからと「インディジョーンズ」のマーチをかけると、どうしても、あの映画を思い出してしまう。8ミリ映画は予算もないので、両者が比較され、余計に見窄らしい映画と思える。悲しいシーンだからと「ある愛の詩」や「おもいでの夏」を流すと、「あ〜この曲知ってる!」と思われ、物語から離れてしまう。

なので、まず、誰も知らないだろうという曲を探した。レンタルレコードに行き、サントラ盤を山ほど借りてきて聴いた。あるいはクラシックの有名でない曲を探す。映画音楽はその物語を反映してなければならない。曲が特定のイメージを持ったものは駄目だ。

自主映画時代からやっていた、もうひとつのこと。それはシナリオを書く段階から音楽を決めていたことだ。物語を書きながら、この場面はスコット・ジョプリン風のピアノ。ここはバッハ。というふうに、それらの曲をカセットに録音。聴きながらシナリオを書いた。

それはプロになってからも続けており、シナリオを書く以前に音楽を決めてシナリオを書くことが多い。なので、シナリオを読んでもらうときには、その音楽をカセットやMDに録音して、「これを聴きながらシナリオを読んでほしい」ということがある。

それとは別に、その曲を劇中で使う訳ではないが、その歌のイメージでシナリオを書くこともある。長くなったので、続きは次回に!!

扉.jpg

なぜ、日本映画には誰もが口ずさめる名曲がないのか?(後編) [MA]

1625588_580075595400082_829670220_n.jpg

だから、映画の音楽入れをするときもこうなる。

「ここはしっかりと芝居を見せたいので、音楽は入れないでほしい」

音楽は邪魔だというのだ。逆に「ここは泣かせるシーンだけど、今イチ盛り上がらないから、何か悲しい音楽を入れてほしい」という。

彼らにとって音楽はまさにBGM=バック・グラウンド・ミュージック。つまり、後ろで流れているもので、芝居の邪魔になるから後ろで密かに流すということなのだろう。もともと音楽に関心のない監督たちが、音楽に力を入れるはずがなく、日本映画には有名な映画音楽が少ないということになったのだろう。

だが、先輩たちばかりではない。同世代の映画好きも音楽に興味がある人は少ない。自主映画をやっていた頃も、友人たちが聴いていたのはユーミンかアイドル歌手くらい。自宅にステレオがない奴も多く、テレビ放送された映画を録画したビデオテープはあっても、レコードや音楽カセットは少ししかなかった。

1470328_721281701279470_4728865743831704462_n.jpg

これは日本人の気質なのか? 映画が好きな人に音楽が好きな人が少ないような気がする。「音楽は何を聴くの?」と訊くと、ほとんどが「何でも聴くよ」と答える。その意味は流れて来た曲なら何でも聴くということ。そんな人は自分から進んでレコードを買わないし、ましてコンサートには行かない。

一方で音楽の好きの友人たちは、ビートルズだ、ストーンズだ、ボブディランだ、ジャズだ、クラシックだ、と部屋に行くと、もの凄い数のレコードがあった。そして、徹夜で並んでチケットを買い、コンサートに行く。が、そんなタイプは映画にはあまり興味なく、年1本見るかどうか?

こうして見ると、世代ではなく、映画が好きな人はあまり音楽に関心がないし、音楽が好きな人は映画にさほど興味はない。と書くと、「俺は違うぞ!」と言われそうだが、そんな傾向が強いということ。

僕は中学時代に映画館通いが始まり、同時にビートルズを聴きだした。高校時代にギターを練習したが、全く上達しなかったので、映画の道に進んだかもしれず。その後も音楽は欠かせぬ存在。

高校時代はローリング・ストーンズ。卒業後の横浜時代はブルース・スプリングスティーン。邦楽なら矢沢永吉に尾崎豊。

IMG_1170.JPG

アメリカの大学に留学したのは表向き、映画の勉強だが、内心は当時日本には来れなかったストーンズのLIVEが見れる。日本では短縮されるスプリングスティーンの3時間を超えるコンサートが生で見れる。というのが目的でもあった(内緒!)。

LAで生活し、何よりも勉強になったのが、日本では見れない往年のアーティストのLIVE。チャックベリー、レイチャールズ、ジョンリーフッカー、BBキング、100人も入らない小さなLIVEハウスで見ることができた。と書いていて、そんなだから映画音楽の不満が大きくなるのだと思えた。

というわけで、自分が監督した映画に着けてもらう映画音楽にもうるさい。曲次第で映画が2倍3倍と輝くが、駄目な曲だと総崩れだ。そして、何より、音楽は「悲しい」場面で悲しみを盛り上げるためだけのものではない。それでは足し算。映像と音楽はかけ算なのだ。1X1=5になるかけ算。そして、音楽はもう一人の主役といっていいほどに重要。バックで流れているBGMではない。

多くの日本映画はまさにBGMなので、本当に背景で流れるだけだが、ヨーロッパ映画などでは、音楽に映像が着いているのではないか? と思えるほど、音楽が全面に出ている作品が結構ある。また、「スターウォーズ」などは、あの音楽なしに、あの世界観は出なかったと思えるほど。僕は映画の力の半分は音楽と思えるほど、重要な存在だと考える。というところで、次回は「向日葵の丘」の音楽について語る。

扉.jpg

なぜ、日本映画には誰もが口ずさめる名曲がないのか?(前編) [MA]

IMG_6525.JPG

日本映画。昔から思うのは、誰もが知るスタンダードな映画音楽がない。アメリカ映画なら「風と共に去りぬ」だって「スターウォーズ」だって「荒野の七人」だって「大脱走」だって「ある愛の詩」も、「ロミオとジュリエット」も「ゴッドファーザー」も「インディジョーンズ」も「007」も、誰もが口ずさめる名曲があるのに、日本映画はほとんどない。

思い出しても「七人の侍」とか「八甲田山「砂の器」くらいではないか? 個人的には「太陽を盗んだ男」とか「赤ひげ」も大好きだし、ちゃんと口ずさむことができるが、やはり、誰もが知る映画音楽と言うのは日本では非常に少ない。高校時代になぜ?と考えた。

答えが分かったのは1980年代に映画の仕事をするようになってからだ。僕より1〜2世代上の先輩たち。音楽をあまり聴かない。酒場で流れる演歌を聴くくらいで、自宅にもステレオセットもない。あってもLPレコードが数枚。基本的に音楽が好きではないようだ。

(つづく)

扉.jpg