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シナリオは自身との対峙。情けない自分を見つめる作業? [映画業界物語]

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シナリオは自身との対峙。情けない自分を見つめる作業?

 シナリオを書くというと、多くの人はこんなイメージを持つ。「ここで主人公を絶体絶命にして....そのあと、死んだと思わせて....実は助かっていて、観客をホッとさせて...」というふうに作家は考えながら、面白い物語を作る作業だと思われがち。確かに、その一面はある。純文学でなければ、特に映画の多くはエンタテイメントであり、観ていて面白くなければならない。ワクワク、ドキドキさせることが大切。

 でも、それだけではいけない。作家の思いやメッセージが入っていると単なる娯楽に終わらない作品となる。それが文芸作品なのだろう。黒澤明監督の映画全般に通じるのは「いかに人は生きるべきか?」を問い続けていること。「生きる」「赤ひげ」「素晴らしき日曜日」はもちろん。「用心棒」や「七人の侍」でさえ、その種の問いかけがある。

 スピルバーグ映画の多くに共通するのは家族が再会する物語。つまり「家族の再生」だと感じる。「続激突 カージャック」では子供を取り戻そうとカージャックする夫婦の話。「未知との遭遇」はUFOにさらわれた子供が母親と再会する。「インディジョーンズ 魔宮の伝説」は誘拐された子供たちを助け、親元に返す話。「ジュラシックパーク」は恐竜に追われる子供たちが親ものに戻るまでの物語。「カラーパープル」は姉妹が再会するまでの話。「太陽の帝国」も子供が両親と再会するまでの苦難を描いている。

 こんな多くの作品で家族の再会を描くのはなぜか? それはスピルバーグが子供の頃。コンピューター技師だった父とピアニストだった母が離婚した経験が強いと思える。「ET」の主人公・幼いエリオットこそがスピルバーグ自身。彼の家庭も父がおらず、淋しい思いをしている。そこでETと出逢うという物語。同じように淋しい幼年期を送ったスピルバーグ。お父さんが戻ってくればいいのに...と思っていたはず。

 そんな心の傷を埋めるために彼は映画の中で、家族の再会を描き続けている。そうやって幼き頃の孤独感を癒そうとする。スピルバーグだけでなく、アーティストというのはそんなふうに過去の辛さを埋めるために作品作りをする。でも、その思いは前面に出ることはなく、物語の背景に存在し、観客が気付かないことも多い。ただ、そんな心の叫びが描かれているからこそ、作品は強くなり、単なる娯楽作を超えて記憶に残るのだ。

 その意味で自分の場合は何だろう?と考える。僕のテーマは「親子に伝える大切なこと」だ。近年、それがさらに明確になり「幸せって何だろう?」ということ。親がすべきこと。子供たちに伝えるべきことは何か? それをずっと考えてきた。でも、親がバカ過ぎて気付かないケースが多い。どうすればいいのか?

 そして子供たちもまた親の思いを気付かずにいることも多い。では、誰が大切なことを伝えればいいのか? それがなぜ大切なことなのか?をどう証明していけばいいのか? そんなメッセージが今回のシナリオでしっかりと描かれているか? 観客に伝わるのだろうか? そんなことを毎回考えながらシナリオを書く。

 シナリオ執筆は戦い。自身と対峙する苦しい戦い。自分の「情けなさ」や「哀れさ」「醜さ」を直視して、人生を考える作業。だから、ボロボロになる。でも、それを避けて書いた物語は心に届かない。だから、毎回、死の物狂いの葛藤を続ける。










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シナリオを読む、難しさ? [映画業界物語]

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 シナリオを読み感想を言うこと。とても難しい。シナリオを読むとき、主人公を演じるのは誰か? どの俳優か?を想定して読む。それをせずに「主人公の個性が弱い」と指摘する人もいるが、シナリオの場合は俳優が演じることで、様々な要素が加わる。

 小説の場合は細かな設定やエピソードによって、登場人物を紹介するが、映画やドラマの場合は、俳優の存在感で表現することが多い。だからといって、それに頼ってしまってはいけないのだけど、小説的な紹介をすると、観客が退屈してしまう。

 なので、どの俳優さんがこの役を演じるといいかな?と考えながら読む必要がある。例えば、山口智子なのか? 鈴木保奈美なのか? 賀来千香子なのか?それによって、物語全体のトーンも変わる。

 「スターウォーズ」も当初、オビワン・ケノービ役は三船敏郎だったが、断られてアレック・ギネスになった。あれが三船ならかなり世界観が変わっただろう。誰がベストか?はなかなか決めにくいが、シナリオを読むときに、全然、当て外れの俳優をイメージして読むと、「何か盛り上がらないなあ〜」と思え
その人は「シナリオがダメなんだ」と解釈することがある。

 でも、問題なのは俳優想定が間違っているのだ。俳優イメージだけではなく、どんな音楽が流れるか?も想像せねばならない。ロック調か? クラシック調か? 電子音楽か? それによってもかなりイメージが変わる。「スターウォーズ」もロンドン交響楽団の演奏で、古いタイプの交響曲にしたことあの世界観が生まれている。シンセサイザーではかなり違ったものになったはず。

 演出も同じ。同じシナリオでも監督によって演出が違う。ハラハラドキドキの展開にすることも、地味な文学作品になることもある。あらゆるパターンを想定して、シナリオを読まなければならず、なかなか、大変。

 デビュー前には多くの人にシナリオを読んでもらったが、物語を正確に受け止めてくれる人はほとんどおらず。本当に参考になる意見をくれるのは、とても少なかった。なので、それ以降、読んでもらう人も厳選している。

 が、そんな人たちの意見でさえ、全てが正解ではない。どの意見を取り入れ、どれを参考にし、何を受け止めるか?それもなかなか難しい。物語に正解はない。本当に難しい。







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収入が安定した仕事なんてもうない。厳しくても自分がやりたい仕事をやるべき! [映画業界物語]

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 少し前になるが、20歳くらいの映画監督を志望する男の子と話した。映画が大好きで、将来は監督になりたくて、今は映画の専門学校に通っている。でも、将来が不安だという。そんな彼はこう訊いて来た。

 「映画監督業の収入は安定していますか?」

 へ?? それが第一の質問? 通常なら「どうすれば映画監督になれますか?」なのに「収入は安定していますか?」なのだ。そこで彼のバックグランドがだいたい見えてしまったのだけど、さてどう話そうかと考えた。

 まず、映画監督になるのは大変なことだ。実力だけでもダメ。運だけでもダメ。僕は本当にラッキーで今、映画監督の仕事をしているが、今後は分からない。高校時代に「監督になる!」と決めてから、23年ほどかかって映画監督業をスタートさせた。その厳しさはよく分かっている。なのに「どうすれば監督になれるか?」ではなく、「収入は安定しているか?」を訊く若者がいた。

 たぶん、彼は映画がとても好きなのだろう。将来は映画の仕事がしたい。できれば監督になり、いろんな映画を作りたい。でも、それで食って行けるのだろうか? 収入がなくなり飢え死にすることはないか? 貧しい生活を強いられることはないか? 欲しいものも変えない生活にはならないか? 結婚して嫁を養うことはできるのだろうか? というごく普通の不安を感じた。だから質問したのだ。

 映画業界に詳しい方はここまで段階で憤り。「何じゃそいつは!」と激怒していることだろう。けど、少し我慢して読んでほしい。彼が映画監督を志望しているから、イラつくのであり、別の角度から考えてみよう。

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 もし、彼がこう考えたらどうだろう? 「絵描きになりたい! でも、絵を売って生活していくのは大変だろうなあ」ーこれは誰でも考えることだ。次はどうか? 「俳優になりたい! でも、芸能界は競争が激しい。とても俺なんて仕事もらえないよなあ」これも誰しも考えることである。就職活動をする前に、**会社がいいか? それとも**商事か? いやいや、***製薬か?と、どこが給料がよくて、待遇がよくて、休暇が長いか? 将来性はどうか?と考える。彼はそれと同じなんだ。

 映画が好きだから、映画監督の仕事をしたい。でも、生活は安定しているのか? 心配だなあ。不安定なようなら別の仕事にしよう。という就活学生と同じことを考えているのだ。では、その答えを書こう。もし、安定性を求めるなら、映画監督だけでなく、俳優、ミュージシャン、画家。漫画家、アーティスト、クリエーターになってはいけない。これらは実力の世界であるだけでなく、運も大きく左右する非常に不安定な業界で、食って行くことはとても困難。

 これは昔からそうであり、一般の人でも知っていること。わざわざ業界の人に聞かなくても現実である。なので、まず、そんなことを僕に訊くこと自体に驚かされた。映画の専門学校に通っているというから、当然、それは覚悟した上で勉強しているのだと思ったのだが、その段で「安定していますか?」と訊くのはどういうこと?とさえ思えた。

 そもそも、映画監督だけでなく、カメラマンも、照明も、演出部も、美術部も、制作部も皆、安定していない仕事だ。今月は仕事があったが、来月はない!ということもある。脚本家なら最初5年は無収入を覚悟すべき。タダでいいといっても仕事はもらない。他のパートも仕事を覚えるまでは、無給ということが多い。

 「えーーーそんな酷い」

 と思うかもしれないが、仕事ができないのに給与がもらえるのはサラリーマンだけだ。戦後の会社は新入社員を育てるために、最初数年は仕事ができなくても給与を支給して育てるというシステムを採用した。が、それは会社だけであり、板前になるのも、修行中は無給。飯を食わせてくれるだけというのが通常。技術のいる仕事というのは、皆、同じ。会社員だけが違う方法論を採用しているだけ。

 なのに、最近はサラリーマンを基本として、技術がない若い人が「1時間働いたから***円ほしい」と主張する。が、それはバイトであり、新入社員の発想であって、映画の現場でお手伝いしたからと、その種の賃金は出ない。その考え方は間違っている。正解はこうだ。映画の技術を学ぶために高い授業料を払って専門学校に通う。それを現場で学べるのは非常に貴重な体験。それも授業料を払わなくていい=なのに、その上、ギャラを寄越せというのはどういうことか? もう分かったと思う。


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 現場でタダ働きするのではなく、授業料なしで技術を学び、貴重な体験をすることができるということ。それを「1時間働いたらから***円ほしい」がいかに勘違いな発想であるか? 分かってもらえたと思う。さらに言えば、今回の彼である。「映画監督の収入は安定していますか?」というが、その質問自体が大いなる勘違いなのだ。

 例えば、インディアナ・ジョーンズのような冒険家にこう訊くだろうか? 「私は冒険家になりたい。でも、冒険中に怪我したり、死亡したりすることはないですか? 安全は保証されていますか?」もう、愚問であることを理解してもらただろう。冒険家という仕事は、危険に満ちている。いつ死ぬか?分からない職業。映画監督も同じ。いつ食えなくなるか?分からない。それどころか、仕事がもらえるか?どうかすら分からない危険な職業なのだ。

 もし、安全を確保した上で冒険がしたいなら、ディズニーランドのジャングルクルーズの添乗員とかになるしかない。といって彼を責めている訳ではない。彼のようなタイプの若者は今、とても多い。全てを会社員を貴重に考える。先に上げたように就職活動の発想で考える。

 給与はいいか? 有給は取れるか?

 将来性はどうか? 

 さらにバイト感覚。自身の能力はさて置き、1時間働いたから1000円は欲しい。それは誰でもできる仕事であり、何の技術もない者が調理場に立っても何の料理もできない。それと同じで撮影現場でも技術のない者は役に立たず、そんな人間に賃金はでない。

 全ての間違いは会社員を基調に考えること。それほど日本という国はサラリーマン養成教育になっているということ。だから、僕はその子を強く責める気にはならなかった。彼のいる環境。家庭。学校が同じ会社員基調の考え方なのだ。そこで育ち、生活している彼はその価値観からしか、物事を考えられない。だから、「映画は好き。監督になりたいが、生活が安定しないなら、考えよう」とという発想を持ってしまうのだ。そこでこう伝えた。

「映画の仕事は不安定。それが嫌なら会社員になった方がいい。でも、今の時代。会社員になるのもむずかしい。派遣社員は大変。給料安いし。期限が来たら仕事がなくなる。正社員になっても、いつリストラされるか? 分からない。会社が倒産するかもしれない。そう考えると今の時代。生活の安定を求めるなら公務員になるしかないよ」

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 若い彼は「そうですか。。。」といい、悩みながら去って行った。たぶん、映画は好きだ。映画の仕事をしたい。でも、安定しない生活は嫌だ。と思ったのだろう。でも、先にも伝えたように、今の時代。安定しているのは公務員くらいなもの。そんな時代に最初から安定を求めてどうするのか? いや、公務員だって、近い将来、大リストラの嵐が吹き荒れる可能性はある。彼らの高い給与が国家予算を大いに圧迫しているのだ。国民からの批判は大きい。財政赤字の中。彼らが永遠に安泰ということはないだろう。

 僕の20歳頃は大学を出てそれなりの会社の会社員になれば、生涯安泰という時代だった。が、今は違う。なのに若い彼はそれを感じていない。僕が20歳の頃。1980年代の価値観を今も持ち続けている。若い人は時代を感じるビビットな感性があるのに、それが分からないのはなぜか?

 たぶん、彼の両親が僕と同世代で、古い価値観を息子に教育しているのだろう。僕と同世代。50代はもう時代を感じる力を失い、感性のアンテナは錆び付いている歳である。だから過去の価値観を振りかざす。僕も時代について行くのに必死。苦労している。

 そんな親たちに説教されて、堅実に生きねば....と彼は思っているのだろう。でも、時代は大きく変わっている。僕はこう思う。どーせ、どんな職業についても収入は不安定だ。公務員でさえ、どーなるか?分からない。だったら、本当に好きな仕事を選ぶべきだ。食えるか? 食えないか?ではなく、どうすれば食えるか?を真剣に考えることだ。

 また「収入が不安定」を気にするということは、その職業を選べば確実に安定するという思いがある訳だ。その発想が間違っている。どの業界でも収入が少ない人と、多い人がいる。映画の世界でも大金持ちになっている人が少ないがいる。会社員でもギリギリの給与で生活している人が数多くいる。間違ってはいけない。職業を選ぶことで安定する、しないではない。会社なら選んだ会社である程度決まるが、今の時代は、自分が選んだ仕事で、いかに収入を上げるか?なのだ。

 与えられたことだけしていれば収入は少ない。いや、その前に仕事をもらえない。でも、考えて、努力して、動けば、それなりの収入が得られる。今、日本はそんな時代になっているのだ。そして考えてほしい。いつリストラされるか分からない仕事をして、好きでない職業に就くのと、収入は安定しないが、好きな仕事をするのと、どちらが1度きりの人生で楽しいか? 彼にはそんなことを伝えた。






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僕がシナリオを見せない理由/感想を聞くと皆、映画評論家になる? [映画業界物語]

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 昔はシナリオを書くと、いろんな人に読んでもらい感想を聞いた。

「多くの人の意見を聞き、その声を取り入れる!」と思ったからだ。多くの人が「前向きな姿勢。偉いなー」と褒めてくれた。でも、それはほとんど意味がないことをやがて痛感する。一番の理由は多くの人がシナリオを読めないということ。業界でもプロデュサーを始め、映画関係者でも驚くほど読む力がない人が多い。

 「でも、プロなんだろ? そんなはずはないよー」

と思う人もいるだろう。ところが、意外な背景がある。例えばP(プロデュサー)というのは経験を積まなくても、実力がなくてもなれてしまうことがある業種?!(もちろん、実力あるPもいますが。。)。映画と全然違う仕事をしている人が転職雑誌を見て、製作プロダクションやビデオメーカーに再就職する。まず、APとして撮影現場で制作部の仕事を経験。安月給で、拘束時間が長い。休みがない。先輩たちがどんどん辞めていく。

 1ー2年も我慢すると、Pに昇進してしまう。撮影現場でやっていたのは弁当の注文とか、撮影のお手伝い。それ以外でもタレント事務所やスタジオとの連絡とか、監督やPのケアーとか、ポストプロダクション。それらも重要な仕事だが、その種の現場の仕事でシナリオを読む力は育たない。

 あと何度も書いたが、日本映画は原作ものが多い。「面白いか?」「映画化に相応しいか?」ではなく、売れているベストセラーであることが大事。読む力がなくても売れている原作の権利を押さえればいい。

 こんな環境ではシナリオを読む力は素人同然。

オリジナル・シナリオを読む力が着くはずがない。原作ものなら「これは面白いから売れてます!」といえば済むが、オリジナルだと作品の世界観を理解した上に、ドラマ文法を分かっていないと正確な評価ができない。

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 にも関わらず彼らは「俺はPだから偉い!」と思い込みがち。上から目線で、もっともらしい意見を述べる。要は「俺はこの物語が好きではない」というだけのことが多い。またが批判したところを修正しないと、あとあとまで不機嫌なことが多い。「私の意見が無視された」と思い込むのだ。

 だが、その多くは当て外れであったり、物語には関連しない自身の趣味を主張しているだけのことが多く、そんな意見を取り入れ直したら物語が歪んでしまう。が、「Pがいうんだから...」とシナリオを直す監督もいる。まあ、そんなPばかりではないが、そのタイプが結構いる。

スタッフも商売柄というのがある。

カメラマンは「このシナリオをどう映像化するか?」という視点で読んでしまうし、照明部は「どう光を当てるか?」と考えて読む。演出部はスケジュールやロケ地を考える。或は「俺ならこうする!」という視点で読み「この本は問題があるなあ」と思いがち。自身がいずれ監督になりたい人たちなので、その監督の意図ではなく、自分ならこーすると考える人が多い。

 そうなると、シナリオを見せて正確な批評や感想を関係者から聞くことは難しい。同業の監督や脚本家に見せても、ほとんどが自分の趣味思考で批評する。特に作家はそうい志向が強い。ま、感想、批評とはそもそもが個人の趣味に基づいたものなのけどね......。

 でも、ラーメンを食べてもらい「俺はカレーの方が好きだ」と言われても参考にはならない。「俺ならハンバーガーを作るな!」というアドバイスをもらっても、ラーメンを作る上でのプラスにはならない。つまり、本当に意味で作品にプラスになる正確な批評や感想を聞くことはとてもむずかしい。

 といって一般の人にシナリオを読んでもらうのも難しい。

小説なら誰でも読めるが、シナリオは特別なもの。登場人物の気持ちが小説のように説明はされていない。街の様子や時代の感じ。お天気や季節。風俗も特に詳しく書かれていない。それらを想像しながら読まなければならない。また、主人公をどんな俳優が演じるか?でかなり印象が違って来る。Aさんが演じれば余計な説明なくても面白くなるが、Bさんなら、意味が分からなくなるとか? 

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 そのシーンがどんなふうに撮影され、どんな編集になり、どこで音楽がかかり、どこで特撮が使われるか? それらが想像できない人が読んでも映画の完成形は理解できない。そんな理解力と想像力がなければシナリオは読めない。そのせいか、一般の人に読んでもらうと「何か面白くないんだよねー」「何かが足りないだな」と言う人が多い。

 そのくせ「なぜ、おもしろくないか?」「何が足りないか?」

を指摘できる人はほとんどいない。実は何かが足りないではなく、読み手の想像力が足りないというのが事実ということが多い。そして、一般の人でも「ここは***した方がいい」とか「この展開はこうした方がいい」」とか提案する人が多い。なぜか? 思い出すことがある。

 Facebookをやっていた頃。専門家でもないのに、僕の書いたことについて、あれこれ指摘、コメントしてくる人たちがいた。全く当て外れな事を提案、批判、アドバイスしてくる。「目薬をして寝る」と書いただけで「目薬は止めろ!」「危険だ!」と書き込む人がいた。といって医薬品関係者とか薬に詳しい人ではない。「ハンバーガーを食べた」と書けば「野菜が足りない!」「体に悪い!」「食べてはいけない」「緑の野菜を食べた方がいい」というコメントが来る。

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 それらも応援のひとつなのだろうが、なぜか?あれこれ意見して来る。野菜を食べないのではない。その日たまたまハンバーガーを食べただけなのに、なぜ、そんなふうに言って来るのか? 他にも似たようなことがあったなあ....と思い出すのが、近所のおばちゃん。親戚の伯父ちゃんたち。

 彼ら彼女らもまた、僕が子供の頃に会うとあれこれ意見したり、アドバイスして来た。が、大人になって振り返ると自分たちがよく知らないことをあれこれ言っていただけだった。ほとんどが役に立たなかったことを思い出す。

 「いろんな人の意見を聞く」というと、いいことだと思いがちだが、

実際は各自が好き勝手なことをいったり、自分の知らないことを助言、価値観を押し付けるものが多い。意見を受け入れないと恨まれたり、怒られたりする。シナリオに関しても、同じことが何度何度もあったので、今は意見を聞かない。完成したものを提示して「これを映画化します!」という形にしている。

 もちろん、「なるほど!」という意見があれば、取り入れたり、直したりするが、残念ながら非常に少ない。だから、スタッフには「シナリオ。どう思う?」とは聞かない。聞くと、多くの人は得意げに「あそこがダメだ。ここがよくない!」と批判が始まる。

 「***したらどうだろう?」「****の展開が面白いと思うけど?」と提案される。が、結局「私ならこうする」という意見。それはもう別の物語だ。「ぜひ、自身がシナリオを書くときに、そんな話を書いてくれ!」と答えたくなる。

 人というのは自分が良く知らない分野でも、

自分が得意でないことでも、あれこれ意見したいところがあるのだろう。特に批評となると、上から目線になり、評論家気取りであれこれいいたくなるようだ。Yahoo!レビューなどを見ると、「この人、評論家?」という文章が多数並んでいる。シナリオを書くたびにそんなことを感じる。なので、読んでもらう人は厳選せねばならない。

 シナリオどころか、小説でも同じ。映画にもなり大ベストセラーとなった「リング」も当初、出版社では評価されなかった。何人もの編集者が読んだが「これはダメ」と思ったらしい。それがある編集者が読んで大絶賛。出版したら大ヒット。

 そう、見る目がある人が読まないと、小説でもその魅力は分からないのだ。シナリオは小説以上に読み辛く、想像力が必要。「これは面白い映画になる!」と見抜くのはかなりの眼力がいる。いいシナリオを書くのも大変だが、いいシナリオを選ぶのも、凄く大変なことなのだ。





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「Wアレンがお前と同じようなことを言ってた」と友人に言われる? [映画業界物語]

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 「ウッディ・アレンって、太田と似たようなこと、言ってるんだよ」

 と、映画ファンの友人が電話をくれた。天下のW・アレンが無名監督の僕と同じこと???んーーなんだろう? 彼がいうには「ミッドナイト・イン・パリ」BDの特典映像のインタビューを見たら、いつも僕が言っていることと同じ発言をしていて驚いたらしい。Wアレンは映画の依頼が来たときにリストを見せるという。そこにはこんなことが書かれているらしい。

 ①キャスティングは自分で決める

 ②シナリオは自分で書く

 ③ラッシュはプロデュサーにも見せない

 ④編集は自分でする。口出しはさせない。

 少し他からの情報もプラスしているが、こんなことしい。それを映画会社が見て「これはないだろう〜!認める訳にはいかない」というと「だったら、依頼は受けられない」と答えるそうだ。実際、Wアレンの映画は彼が脚本を書き、監督をし、自身でキャスティングをして、編集。完成させる。映画会社には一切口出しをさせない。


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 それを聞き「ほんとその通りだ!」と思った。

僕もそれを実践している。ま、リストは作っていないし、巨匠のWアレンだから許される条件であり、無名のチンピラ監督が同じことを主張したら「100年早い!」と叱られそうだが、僕もそれを譲らない。

 というのは、有名か?無名か? 巨匠か?チンピラか?の問題ではない。素敵な映画を作るには、感動的な作品を作るには、上記を実践しなければできないのだ。シナリオを自分で書くからこそ、思いが籠る。自分で演出するから、さらに思いが伝わる。自分が選んだ俳優だから、その良さを引き出せる。自分が魅力を感じない俳優を起用しても、その人の魅力を引き出せない。

 そしてラッシュを見せないのも大事。

完成状態を想像できていない関係者に編集前の映像を見せても、あれこれ的外れな批判しかしない。自分で編集したこともない人たちがあれこれアドバイスしても、プラスにはならない。旅行でいえば大阪に新幹線で行きたいのに、飛行機で北海道へ行くべきだと言われても参考にはならない。編集も同じ。100人が編集すれば100通りの編集ができる。それを議論しても無意味。

 レベルの高い映画を作るのに大事なのは、監督が思うイメージを最大限に作り上げること。まわりがあれこれ口を出すと、思いが削がれて、結局、無難な作品しかできない。脚本、キャスティング、演出、編集までを監督が統括するべきなのだ。それぞれを別の「思い」を持つ人が担当すると、作品が力をなくし、バラバラになり、クオリティが低くなる。

 それを実践しているのが巨匠たち。

黒澤明しかり、木下恵介しかり、大林宣彦しかり、山田洋次しかり。巨匠たちにあれこれ口出す人はいない。だから、名作ができる。新人監督がいいものができないのも理由は同じ。実力がまだないというのもあるが、まわりがあれこれ言って監督の思う通りに映画作りができず。歪んだ作品となることが多い。

 そして「ダメだなあー」と思う映画の多くは製作委員会方式の作品。多くの企業が製作費を出し、それぞれの会社が作品に口出しする。監督は自分の思いより、各会社の要望をいかに受け入れるか?に終始する。クリエーターというより、交通整理係となる。キャスティングも監督が決まる前に決定していることがほとんど。だから、無難で生温い映画しかできない。


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 音楽でもそうだが、昔は作曲家の先生がいて、

作詞家がいて、歌手がそれを唄う。バックでダン池田とニューブリード(?)が演奏するという形だったが、今は自分で作詞、作曲して、自分のバンドで演奏し、自分で唄うバンドスタイルが主流である。なぜか? その方がクリエーターの「思い」がストレートに出て、聴き手をより感動させるからだ。映画も同じだ。

 いろんな人があれこれ意見したのをまとめても、感動的なドラマにはならない。タメ監督は「お仕事だし、ギャラもらえば、それでいい」と考え、映画作りを分かっていない関係者の意見まで聞き、それに従った作品を作ろうとする。監督に対する関係者の評判はいいが、作品的には無難なものしかできない。

 でも、関係者がいくら喜んでも意味はない。観客が泣いて、笑って、感動する映画になってこそ意味がある。好意でくれたアドバイスでも、的外れな意見を受け入れてもプラスにならない。ただ、全てを拒否すると人間関係でトラブるから、ある程度はその人たちの指示や助言を受け入れる? 仕事を円滑に進める上では必要なこと? しかし、映画でそれをすると絶対にいいものはできない。

 映画は民主主義ではない。

関係者全員が「***がいい!」と言っても、監督が「違う」と思えば、受け入れるべきではない。ストーリーも、演出も、キャスティングも、100%監督の思いを反映させてこそ、いいものができる。本当に不思議だが映画というのはそういうものなのだ。特に近年はそうだ。

 僕はデビュー作からそれを実践している。最初の頃は本当に嫌がられた。「二度と太田とは仕事しない」「何て我がままな奴だ!」「何様だ!」と何度も言われた。が、偉い、偉くない。有名、無名は関係ない。いい映画を作るには、遠慮したり、自分が違うと思う意見を受け入れてはいけない。

 毎回、関係者の一部に嫌われたが、作品の評価は毎回高かった。映画館では多くの観客が涙した。批判していたスタッフも完成した作品を見て納得する。それでも「自分の意見が通らなかったから」と批判を続ける人もいたが、映画の出来より自身のプライドを優先するタイプ。一緒に仕事はできない人たちだ。


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 大事なのは素敵な作品を作ることなのだ。

よく「あの監督はいい奴なんだけどなあ。作品がダメなんだよ」という声を聞く。「いい奴」というのは、自分たちの言う事よく聞く素直な奴という意味。でも、だから、いいものができない。ヒットを飛ばしている監督は逆に、批判する声が多い。人の言う事を聞かないからだ。でも、監督業として意味のあるのはどちらか?

 「次も仕事をもらいたい....」そう思うとプロデュサーや会社の意見を無下にはできない。が、全てを聞いていると、いい作品はできない。「じゃあ、ある程度聞いて、大事なところは自分の意見を通したら?」という人もいるだろう。でも、それはダメ。全てで自分の信じることをしないと映画は壊れてしまう。主役に相応しくないと思う俳優を会社は推薦ーそれだけは受け入れて、あとは好きにやった。でも、主役が適役でなければ全部が壊れる。どんなにその役者が努力してもダメ。それが映画なのだ。

 だから、Wアレンは自分でシナリオを書き、

キャスティングして、演出する。ラッシュは関係者に見せず、編集も自分でする。そんな彼はアカデミー賞を取り、数々の名作を作っている。そして現在も現役で活躍中。有名監督でなくても、アカデミー賞を取ってなくても、多くの人があれこれいう環境で良質な映画を作ることはできない。

 僕はようやく理解ある関係者、スタッフに恵まれ、ここ数年は本当にいい環境で映画作りができている。これは本当に感謝すべきこと。だからこそ、感動作を作らなければならない。無難な作品を作ってはいけない。それはそれで戦いである。
 とはいえ、日本では監督が全て自由にやることは本当に稀だ。でも、それを実践することが素晴らしい作品を作ることに繋がる。それがなかなか理解されない。




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感動的な物語を作るということー机の上で考えていてはダメ?? [映画業界物語]

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 前回、偉そうに「シナリオを読めない映画人」という記事を書いた。

 シナリオを読む力も大変だが、感動作になるシナリオを書くというのも大変だ。それ以前に物語を作るというのは戦い。頭の中で、あーしようか?こーしようか?とストーリーを作るだけでは観客を感動させるものはできないからだ。

 主人公がいて、可愛い女の子に出会って....実はその子は....とか考えて物語を作るのだが、どこかで聞いたようなそんなストーリーを書いてもなぜか?観客の心には届かない。誰でもストーリーを作ることは出来るのだが、感動作を書くのはむずかしい。

 物語というのはたいていボーイ・ミーツ・ガールで出来ている。恋のライバルが現れたり、2人を引き裂く存在がいたり、すれ違いがあったり、いろんな事件が起きて2人は結ばれない。それがパターン。なのに、ヒットするもの。しないもの。感動するもの。しないものが出て来る。何が違うのだろうか?

 テレビドラマで活躍する有名脚本家。

過去の作品のネタを気付かれないように、うまく使う人がいる。パクリというのは簡単だが、自分が作った物語に、そのネタをうまく脚色してはめ込んでいる。それはそれで実力だったりする。毎年、1クール。12話分ものシナリオを書いていると、持ちネタだけではすぐに尽きてしまうのも理由。

 でも、基本は自前のネタだ。子供の頃の経験とか、振られた思い出とか、体育祭での活躍とか、自分の経験を元にして書いた物語は伝わる。これが不思議なのだけど、頭で考えて作ったストーリーを話しても聞いている人はあまり共感も感動もしない。でも、自身が経験したこと。病気のことでも、失恋体験でも、その種の話をすると人は真剣に聞く。共感も感動もしてくれる。


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 聞き手がプロの業界人でなく一般の人でも、

それを見分ける能力を持っているのだ。作り話をすると具体的な根拠はなくても「何か、ヘンだな?」と思われる。試しに自身の本当に辛かった話を誰かにしてみてほしい。それが事実なら相手は必ず真剣に聞き、感銘してくれる。逆に、辛かった話を作って話してみてもいい。聞いた人はどこか????な感じを持つはずだ。人は誰でもその種の能力がある。

 それと事実が持つ「力強さ」「リアリティ」も大きい。「事実をもとにした物語」や「現実に起こった事件」のドラマ化は面白い。「現実は小説より奇なり」というが、頭で考えたドラマティックな物語より、現実に起こる事件の方が面白く、身につまされる。

 にも関わらず、多くの新人ライターは自身の話ではなく、過去に見た映画やドラマ。漫画のストーリーを焼き直したり、寄せ集めたりした物語を作ってしまう。何より、自分が経験したことを書くという基本を知らずに、あれこれ想像して書くのが物語だと思っているからだろう。

 もうひとつは、新人ライターは経験が少ない。

真面目に小中学校へ行き、高校へ進学。大学受験。あるいはシナリオ学校へ。日本人なら誰でも経験する教育を受け、平凡な人生を送って来た人が、その経験を書いてもやはり面白くない。高校時代は不良で暴れていたり、幼少期は極貧で生活が大変だったり、親がヤクザで特別な子供時代を送ったりと、人とは違った人生を送ることで、興味深い物語になるネタができる。

 ただ、そんな特別な経験がなくても、世の中を見る鋭い目があれば、社会の矛盾や政治の腐敗。教育問題をテーマに、自身の生活を物語にすることもできる。でも、そのためには時代を見つめる鋭い視線を鍛える経験がなければならない。平凡に生きていても、その目は育たない。そう考えて行くと、物語を作るというのは「いかなる人生を生きて来て、どんなふうに世の中を見ているか?」ということだと分かって来る。


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 それでも自身の経験を物語にするのは限りがある。

どんな特別な人生を送っていても10本20本もドラマは作れない。だから、次のステップは取材すること。机の上で想像するのではなく、いろんな人から話を聞く。実際に起こった事件を調べる。そうすると、頭で考えていては絶対に思いつかないドラマに出会うことができる。

 自身の経験で物語を作り、語り口がうまくなれば、人から聞いた話でも自分が経験したかのようにリアルに語ることができるようになる。それが物語を作るということだ。よくあるパターンの物語なら誰にでも作ることができる。でも、それでは観客は感動しない。リアリティも感じない。観客を泣かせ、共感させる物語を作るには、自分が経験したことをベースに作る。

 実際にあった話を取材して作ることが重要なのだ。

もちろん、SFやファンタジーという現実にありえない物語もあるが、基本は同じ。まだまだ、奥深いものがあるのだが、物語作りはその辺が大事なのだ。



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シナリオが読めない映画人ー多くがドラマ文法を理解していない? [映画業界物語]

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 物語を作るという仕事。映画であり、テレビドラマ、

漫画、小説。ただ、物語作りは車やテレビのような製品を作るのとは違う。そして、目に見えないルールがある。法則や定義もある。それが分からない人がなぜか?映画の世界には多い。

 映画を企画するのはP(プロデュサー)。ストーリー作りにも参加する。原作ものならすでに物語が出来ているからまだいいが、オリジナルのときはいろいろ揉める。日本映画のほとんどが原作ものということもあり、物語を作るという作業をあまり経験していないPが多いのが、揉める大きな理由と思えるのだが、「物語作り」を分かってない人が多い。

 Pだけではなく、監督でもそんな人が多い。

「主人公を***させようか?」とか「ライバルを***することにしょう」とかいう。そんなことを言い出せば、いろんな展開が可能となり収拾が付かなくなる。その手の人は作品のテーマを把握せず、個人的な希望を掲げているだけ。テーマを考えれば、展開の仕方は自ずと決まって来る。なのに「***してもいいんじゃないの?」とか素人のようなことを言い出す監督もいる。ドラマ文法というのを全く分かっていない。

 また、シナリオを読んで完成したイメージ

が想像できる人も非常に少ない。ま、想像力がないということだ。シナリオは小説とは違う。単純に読むだけではダメ。この役はどんな俳優が演じるか? 具体的な人をイメージして読まなければならない。カメラワークは? ロケ地は? 俳優の演技は? どんな音楽がどのシーンで流れるか? そこまで想像しなければならない。


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 例えば、菅野美穂がこの役を演じ、

涙ながらに台詞をいう。そこにピアノの曲が流れてくる。撮影場所は古都・京都の境内とか、考えると「おーーこれは泣けそうだ!」と思える。ロケ地が東京のビル街とか、音楽がエレキとか、別のものだと泣けなくなったりもする。そこまで想像して読むのがシナリオ。それを貧困な想像力でしか読めず「これじゃー泣けないよな」という人がとても多い。

 彼らが理解するのは「この原作は100万部売れているんですよ」

「***賞を受賞した」「この作家には若い女性ファンが多い」という言葉だけ。「だったら、その原作を映画化しよう!」という。要は読む力がないということ。

 そんなPたちがNOを突きつけたシナリオに関して「何がよくないんですか?」と訊いてみる。何が面白く、何が面白くない。面白くない原因は何か? キャラクターか? ストーリー展開か? 設定か? それを明確に言える人はなかなかいない。細かく訊いていくと、最後には「全てダメなんだよ!」と怒り出す。「これはベストセラー原作。だから映画化する」という安易な仕事をしていて読む力がないので、そのシナリオの世界やテイストを想像できない。理解できなかった。だから、「面白くない」と思っただけなのだ。正確にいうと「僕には分からない」ということが多い。

 ただ、シナリオを書く脚本家は

その辺を理解している。自身で物語を何本も作っているとドラマ文法が分かって来る。物語はテーマに向かって突き進むときに面白くなることを知っている。何本もシナリオを書いているプロはさすがにプロ。だが、監督たちにはその辺が分からない人が多い。

 僕も脚本家時代。その種の監督と何度か仕事をした。要はテーマに沿って物語を作らなければならないのに、その監督はテーマに興味がなく、別のことをしたい。その企画とは違うことをやりたい。それを「そーじゃないんだなあ」といって、自分のやりたい方向に向けようとしているだけなのだ。


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 そうなると、何がしたいか?分からないヘンな映画ができる。昔の角川映画でも若者向きに企画した作品で、若手の人気俳優が出て、原作も若い人に人気。若い人が聴くアーティストが主題歌なのに、監督が中年向けのドラマを作ってしまったことがある。当然、中途半端な作品。陳腐な映画になってしまった。日本映画はこんなケースがときどきある。

 ドラマ文法が分からないP。

テーマや企画を無視してやりたいことをやる監督ー(もちろん、それでいいものができればいいが、ラーメンの器にステーキを入れるようなもので、観客は???となる)そんな人たちの意見を入れてシナリオを書く脚本家。こうして、大金を注いだ大失敗作が作られる。今もそうだが「何で、こんな映画作ったの?」という作品はそんな背景なのだ。

 「この原作が何でこーなるの?」

というのも同じ。その原作に愛情も思い入れもない脚本家や監督。Pが自分がやりたい別のことを、作品の中でやってしまうのだ。日本アニメヒーローものの映画化なのに、「ダークナイト」や「アイアンマン」をやろうとしたものが数年前にあった。原作ファンから大ブーイングを買った。話は少し逸れたが、全ての原因はドラマ文法が分からないPが作品を統括できていないということ。だから、監督が暴走する。だから、おかしな物語になる。


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 もちろん、優秀なPもいるが、ダメな方が多い。

なぜか? その種の勉強や経験を積む機会がないからだ。多くのPは現場で製作の仕事をする。それは大事なことだが、それだけでは不十分。物語とは何か?を把握するには、撮影現場だけではダメ。テレビの世界ではPに昇進する前に、シナリオ講座を受講させるという局もある。だが、1年ほど現場経験をしてすぐPになるビデオメーカーや製作会社が多い。

 仕事がキツいので上がどんどん辞めて行くので、1年も勤めればPになってしまう。肩書きが付くと不勉強な奴でも「俺はPだ。偉いんだ!」と勘違い。ドラマ文法も分からないのに暴走。そこから悲劇がスタート。実力ある脚本家のシナリオが不勉強のPの指摘で、改悪されてダメな作品になったのを何度も見た。僕も昔はそんな人たちと仕事をして散々な目に遭った。が、最近は見る目のある人たちがまわり多くいるので、助けられている。

 どんな有名俳優が出ても、莫大な製作費をかけて映画を作っても

脚本がダメなら、いい作品にはならない。その脚本の良さが分からなければ、シナリオを読む力、想像力がないと素晴らしいシナリオを見いだすことができない。そんな力のない人がPとなり、重役となり、決定権を持ってしまう。日本映画の最大の問題点なのだ....。


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前作を超えること。作家に課せられた地獄の宿命? [映画業界物語]

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 大人気の劇団。「A」「A城(再演)」は数十分でチケットが完売した。その劇団の舞台を久々に見た。

大ヒット作「A」の後の舞台「B」でかなり迷いを感じ、失速したように思えた。批判は簡単。考えてみる。劇団でも作家でも、ある種の目的(作品作りの上で)を持ち、突き進んで行く。だが、それを達成し、頂点を極め、人気も評価も得たあとというのは本当に大変なものだ。

 その後は次なる目標を探し、それに向かってがんばるのだが、あの劇団は「B」以降、今もそれが見つかっていないように思える。

そこで、ここしばらくは

「***」というフィールドで新たなる目的ーを探しているように思える。今回も前半はそれ。それがクライマックスになり大量殺戮があるあたりから、あの劇団らしさを発揮。盛り上がった。

 個人的には久々に堪能。あの頃の興奮を少し思い出したのだが、厳しい言い方をすると、やはり、あの頃には及ばない。実際、あの頃は幕が降りると観客は全員総立ち。カーテンコールを4回くらいやったが、今回は3回。観客は誰も立ち上がらない。終演後も、劇場を出ると以前は多くの客が興奮して携帯で「今、終わった。凄かった!」「最高!」とか友達に連絡していたが、今回は熱く語る人たちが結構いたという程度。

 次の目標が見つからないと、作家は過去の得意技を使い盛り上げる。が、それは最盛期のパワーを持っていはいない。悲しいけれど、勢いがないときに技術だけで戦っても観客を満足させることはできないのだ。


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 実はそんな手法で対応できることさえ凄いことなのだが、

全盛期を知るファンには物足りないものがあった。それは実力が落ちたのではなく、ひとつの目的を果たしてしまったあとに訪れる作家(劇団)の宿命。いつまで経っても全盛期と比較される。だから、次の目的を見つけ、新しいスタイルを探さなければならない。

 スピルバーグもエンタテイメント(「インディ」や「ET」)を極めたあとに、「シンドラー」「カラーパープル」という文芸路線に進んだように、頂点を極めると、同じことをやっても、自分の過去を超えられず、ファンからは「昔はよかった」と言われてしまう。(だから、新しい目的を持ったスピルバーグは「インディ」の新作を撮っても面白くない)

 なので「あの劇団はどうだ?」と思っていた。今回の舞台見て、まだ、それを見つけていないことを感じていた。伝統的なスタイルの中でできる新しい何か?温故知新をしながらも、まだ踏襲しているのみ。それで最後まで行けないので、昔ながらスタイルでクライマックスを描く。実力はあるので、かなりのところまで持って行く。

 でも、長年のファンは何度も見て来たもの。

全盛期のパワーもない。そこそこ満足はするが、過去を知る者は満足できない。けど、プロとして新しい挑戦をして、失敗はできない。そこで確実にできる過去のパターンで、ある程度の満足をしてもらえる舞台にしたのだと思える。


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 かなり悩んでいる。でも、人ごとではなく、僕自身も同じ。

「ストロベリーフィールズ」は初監督作にも関わらず、評判がよかった。だが、二作目がそれと同じレベルのものだと「前作の方がよかった!」と言われる。 前作より120%の出来でないと観客は満足しない。2作目は 「青い青い空」これも評判がよく。「前作より良かった」と言われ、さらにハードルが上がる。

 路線を変えて「朝日のあたる家」ーこれも評価が高い。すると観客は「もっと泣ける作品!」と期待してくる。 けど「朝日」は実話!それより泣ける物語なんてできない!「どーしよう???」と追いつめられた。

 4作目が「向日葵」奇跡的にまた泣ける物語ができた。けど、次どーするの? もう、「向日葵」を超える作品はできないだろ? というところで悩んでいる。僕だけでなく、作品の評判がいいとファンの期待は高まり、同じレベルだと「前作の方が良かった!」といわれる。

 やはり、前作を超えた120点を取らないと「よかった」に ならない。それが作家の宿命。黒澤明もまさにそれ、別のスタイルに挑戦しているのに、一部では死ぬまで「七人の侍」の方がいい!最近はダメと言われた。

 あの劇団は今、そんなところにいると思える。

 以前、蜷川幸雄を厳しく批判したのも同じ構図。あれだけ素晴らしい舞台演出をしていた人が、新しい挑戦せず。過去のパターンで御茶を濁す。だから、新人作家であった僕は許せなかった。けど、僕は今、たった4本の映画で同じ壁にぶつかっている。蜷川さんやあの劇団の悩みがよく分かる。でも、作家はそれを超えて行かねばならない....。



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話題作を次々に撮る後輩監督。でも、彼はハッピーではなかった? [映画業界物語]

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 話題作を続けて撮っている後輩監督がいる。

 有名俳優が出演。ベストセラー原作。大手映画会社の製作。予算も2億、3億というスケール。大手のシネコンで公開。カタギの友人に訊いても、こういう。

 「ああ、あれねえ。テレビでもバンバン予告編やってたから知っているよ。お前も早くああいう大作を撮れるようになれよ!」

 後輩は誰もが羨む環境で仕事をしている。が、本人はこういう。

 「うらやまれることなんて全くないですよ。

キャストは最初から決まっている。僕が**役は***さんがいいと言ってもダメ。原作を選んだのも会社。音楽も、スタッフも皆、会社が決める。僕は撮影の1ヶ月くらい前。全てが決まってから呼ばれて監督してほしいと言われる。あとは撮影現場に行き、カット割りをするだけ。

 内容や方向性。テーマについても一切、意見を言わせてもらえない。言っても聞いてくれない。おまけに、その日になってから、キャストの***さんは今日は来れないので、なしで撮影してくださいと言われる。何それ? 話繋がらないだろ?無理やり人気俳優をキャスティングするからそういうことになる。

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 でも、その中でやらなければならない。スケジュールも決まっていて、その期間内に撮影しなければならない。演出の冒険はできない。オーソドックスに撮ることを強要。クオリティが高くなくても、そこそこのものを撮ればいい。内容よりも予算と期日が大事。これじゃ誰が監督しても同じ。いい加減うんざりする。でも、それなりのギャラをもらうから我慢している。

 誰も個性的な作品なんて期待していない。

上のいうことを逆らわずに聞く監督が求められている。本当に苦痛で爆発しそうになる。クリエイティブはゼロ。言われたことをするだけ。なのに、皆、羨ましがる。こんな仕事。監督でもなんでもない。単なる仕切り係。いつか見ていろと思うから我慢しているけど、本当に息が詰まる。こんなことをするために監督になったんじゃない....」

 彼はそう言っていた。

 僕は本当に撮りたい作品しか撮らない。だから、仕事が少なく、経済的にも大変。けど、あれこれ言われてもいいものは絶対にできない。言われたことをおとなしく出来るようならサラリーマンになっていた。それができず、自分の考える物語を映画にしたいから映画監督の仕事をしている。

 後輩監督の気持ちは痛いほど分かる。

ただ、自分が撮りたいものを撮るのは毎回、宝くじに当たるようなもの。どちらが幸せなのか? 言えることは、僕には後輩の真似はできない。あれこれ言われたら、いつか爆発して、プロデュサーを殴ってクビになり終わるだろう。それを我慢している後輩は偉い。

 けど、後輩のいうとおり、今のままでは映画監督ではない。カット割り係に過ぎない。誰が撮っても同じ。彼の作品で「お!」と思えるものは1本もない。原作を短くして映像化しているだけ。感動も涙もない。ただ、それが映画界のあるひとつの現実でもある。





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ダメな日本映画が多いのは「ドラマ文法」も知らない映画プロデュサーが多いから? [映画業界物語]

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 映画のスタートはシナリオ......ではなく、

まず企画。つまり、物語作りだ。どんな題材で、どんなストーリーにするか?を決める。原作があれば簡単だが、オリジナルを作るならそこからスタートだ。

 例えば、現代に恐竜が蘇る物語? 未来からロボットが送り込まれるストーリー? スパイが巨大組織に挑む話? という具合だ。ま、その前にテーマやジャンルも決めねばならない。20代女性に見せたい=>だから恋愛ものとか、40ー50代男性がターゲット=>だから、社会派ドラマという具合。

 あと、作家、監督が何を描きたいか? 伝えたいか? で決まって来る。友達との友情を描きたいとか、夫婦生活のあり方を問うとか、親子関係を見つめるとか、そんなテーマを決めることで、いろんなことが決まって来る。

 僕の場合。「向日葵の丘」で言えば、

昔から1983年を舞台にした青春ものを作りたいという思いがあった。未来が明るく思える元気な時代。それを描く事で、不況で混沌とした「現代」が対比され、いろんなことが見えてくる。そこで主人公は当時、高校生だった女性にして、過去と現代を対比。物語を作った。

 
 昔はプロデュサーと相談したり、完成したものを見せて意見を聞いた。が、当時から本当に呆れるくらいにプロデュサーという人たちは、物語作りというものが分かっておらず。無意味な批判をするだけだった。


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 とは言え、小説やシナリオ。漫画でもいい。そんなものを書いたことのない人は「物語」とは何か?を把握できていないことが多い。プロデュサーは多くのシナリオを読み、作品にゴーサインを出す役割だが、やはり読んでいるだけなので、その辺が理解できないのである。さらに単に批判してばかりいるので、勘違いして「俺が書いた方がまだマシだ」と思い始める。

 人は不思議なもので、他人の作品を批評すると

無意識に上から目線になり、評論家気分で批評を始めることが多い。Yahoo!映画レビューとか見ると、単なる映画マニアなのに「この作家には荷が重かったようだ」とか「突っ込みどころ満載の作品。自主映画の方がまだマシ」とか偉そうに書く人が結構いる。なぜか、人は批評する立場になると、そんなふうに高飛車になってしまう。

 だが、その批評を見ると「***のシーンはカットした方がいいだろう」「***の場面はもう少し長めに見せるべきだ」とか得意気に書いているが、単に「早く次の場面が見たかった」「あの場面をもっとじっくり見たかった」というだけのことが多い。つまり批評ではなく、感想を述べているだけ。そして趣味思考を訴えているだけなのだ。

 それを評論家風に上から目線で見つめ

「この作家には才能というものが感じられない」とか書く。「才能って何?」「あんた才能を見抜く目があるの?」「そもそも才能なんて存在するの?」と思うのだが、映画マニアにはこの手の人が結構いる。自身でシナリオを書いたり、監督したりしないで、数多くの作品を見ていくとどーしても自称映画評論家になってしまい、自分の趣味思考が批評だと思い込んでしまうのだろう。

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 プロデュサーも同じなのだ。

仕事でシナリオを読む。粗を見つける。「ダメだなあ。辻褄が合わない。このライターは才能がないなあ」と感じる。でも、ゼロから物語を作るより、出来上がったものから粗探しをする方が遥かに簡単でイージーなのだ。なのに「俺が書いた方がマシだ」と勘違いしてしまう(でも、書かないから、批判されることがなく、自分の方が出来る!と勘違いし続ける)そんな環境もありプロデュサーで読む力がある人は少ない。彼らの仕事はシナリオのどこに問題があり、どうすれば面白くなるか?を指摘すること。

 なのに多くのPは「こうしたらどう?」「こんな手もある」と、自身の趣味思考を語っているだけ。ここは難しいところなのだが、物語には文法がある。僕は「ドラマ文法」と読んでいるが、面白い物語には定番があり、いかにそれに乗せるか?という法則がある。それを把握した上で、テーマを鑑みてストーリーを作るのである。

 それらを把握せずに「こうしよう!」「ああしよう!」というのは、「僕はラーメンが食べたい」「私はスパゲティ」と言っているのに等しい。でも、テーマをレストランで例えれば、「伝統的な日本食」だった場合に、ラーメンやスパゲティは外れている。それでも多くのプロデュサーは「あってもいいんじゃないか?」などと言い出す。それならば、そのための方法論を考えねばならないのに、それは持っていない。

 「右へ行こう!」とPがいった場合、

ライターは「違うんじゃないですか?」といっても、「それを考えるのがライターの仕事だろ?」といわれ執筆。プロデュサーが完成したものを読むと「右じゃないなあ。やっぱ左かあ?」とまた違う方向性で書かされる。「んーーまだ違うなあ」とプロデュサーはいう。要は明確なビジョンがなく「ドラマ文法」も分かっていない。ライターは分かっているので、その方向で書いても無駄だと分かっているが、仕事依頼してきたプロデュサーなので我慢して書くが、時間を無駄にするばかり。


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 分かりやすく書くと、物語作りは旅行に似ている。

東京から沖縄に行くのに「電車で行こう!」というプロデュサーがいる。が、ライターは電車で行けないことは分かっている。それを実際に九州まで電車で行き、海を渡れないと分かって「違うなー」というのがプロデュサーなのである。沖縄に行くには船か飛行機しかない。そして東京出発なら西に向かう。それを「東から行こう」と言い出したりする。地球を一周すれば行けるが、時間も経費もかかり過ぎ。ドラマ文法が分かっていればそれに気付くが、知らないとそんな無駄な作業を続けることになる。

 ま、プロデュサーだけでなく監督にもそんな人が多いのだが、なぜ、映画界でそれなりに仕事をしている人たちが「ドラマ文法」すら分かっていないのか? 未だに不思議だが、それだけ安易にベストセラー原作を使い映画作りをしているので、物語を作るという作業を学ぶ機会がないことなのだろう。もちろん、優秀なプロデュサーもいる。

 僕がシナリオライターだったとき、

優秀PとバカPと別作品で同時に仕事をしたことがある。そして、両方の作品で、同じ問題が勃発。どうやって物語を展開させるか議論した。優秀Pとは30分話しただけで、解決法を見つけたが、バカPとは3日に渡り議論。すでに解決法は分かっていたがしたが、彼は納得しない。答えは1日目で見つかっていた。それを何度も説明しているのに、理解せず、他の当て外れのアイディアを出し続け、結局、3日目で先の答えしかないことを理解した.....。


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 後輩たちからよく聞く話もある。よく出来たシナリオがあるのに、Pたちがあれこれ文句を付けて改悪してしまい、結果ダメな映画しか上がらないこともよくある。文句をいうことで自分もシナリオに参加したと感じるPもまた多くいる。それは趣味思考を押し付けただけ。そんなこともあり、プロデュサーの意見を聞くのはほぼ無意味だと思い、その後、映画会社と仕事はせず、プロデュサーは僕自身が兼ねることにした。

 Pたちが無能というのではない。「物語作り」とはそれほどまでに難しいものだということ。そしてPたちが驚くほど勉強をしていないということ。「ドラマ文法」というものが存在していることすら理解していない人も多い。それに従いストーリーを作る事が王道なのだ。が、時として、文法を破ることで面白い物語できることもあるが、それはそれでしっかりとした方法論を持っていなければ成立しない。それが分からずに「過去のパターンを破る新しいものを作ろう!」といってもうまく行かない。

 最近の日本映画。オリジナルものが少なく。面白くないのは

そんなふうに勉強不足のPが多いからではないか? 監督は脚本家のほとんどがフリーなのに対して、プロデュサーは未だに社員の人が多い。それなら映画会社が物語作りを教育すればいい。シナリオ学校で半年間、研修するとか(これはやっているテレビ局がある)自身でシナリオ書かせて提出させるとか。物語は自分で作らないと学べない。人の作品を読み、ケチを付けているだけでは勘違いが進むだけ。それが日本映画をダメにする一因ではないか?と思えて来る。

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