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僕がとっても忙しい理由。映画監督って、ホントはここまで多忙ではない? [再・映画界]

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2015年3月の記事より

「監督ってこんなことまでするんだ〜。ほんと大変だなあ」

 と思ったという話。よく聞く。が、本来、僕はやり過ぎ。これが本当の監督業だと思ってはいけない。

正確にいうと、僕は監督、脚本、プロデュサー、編集、を担当するのにプラスして、撮影前のロケハン時には制作部。そして完成後は宣伝部。そして、経理やデザイン。パンフレットやチラシの文章書き等もするので、7人分くらいの仕事している。

本来、映画が完成すれば、監督は偉そうに座っていて、自分から何かをすることは少ない。「監督。お願いします」と言われて舞台挨拶に行く、マスコミの取材を受けるというのが本来だ。

だが、映画というのは本当にお金がかかる、いろいろと節約をせねばならない。だから、まず僕が何役かを兼ねることで節約ができると考えた。これが1人別に雇い、1ヶ月働かせれば、その期間は生活できるだけの賃金を払わねばならない。

が、僕が兼任すれば、0円でも言い訳だ。その分のギャラを現場費につぎ込めば、よりいい作品になる。スタッフの弁当におかずを1品加えるとか、スタジオ作業で1週間長く作業するとか、実質的なプラスが増える。

しかし、一番の問題。権化といえばがP(プロデュサー)という人たちである。もちろん、素晴らしい人たちもいる。僕も何人も知っている。が、そうでない奴が凄く多い! 自分は何もせずに、製作費から意味不明な名目で多額の金を抜く。癒着したタレント事務所の俳優をねじ込もうとする。1人入れれば***円もらえるとか? 

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そのくせ、スタッフのギャラはピンハネ。あるいは約束した額を払わない。いや、それはまだマシな部類でギャラを払わずに、開き直る。逃げ回るという奴も多い。僕も何度も騙された。また、そんな連中は制作会社を立ち上げていたり、その一員なので余計にごまかしがし易い。何にいくら使ったか? スポンサーにも報告しない。通常、製作会社の手数料は10−20%なのに、製作費の75%も抜いて映画を作った会社さえある!

なので、今は製作会社は入れないで、僕が全ての仕切りをして、スタッフ&キャストを集め、使途不明金は一切出さず、節約に節約を重ねて、関係者に払うべき者はごまかさずに払う。そうして、製作費以上の作品を作るようにしている。ただ、やり過ぎて、自分の取り分まで現場に投入。だから、いつも残るのは借金だけということが多い。

ま、それでメジャー映画に負けないスケールとキャストの作品ができるのだが、そのためにはまず僕が7人分働く。だから、毎回、医者に「休まないと過労死するよ!」と叱られて、完成したらダウンして半年も自宅入院生活となる。ま、毎回、遺作と思っているので、過労死してもいいのだけど。いい加減な作品を作ることだけはしたくない。

「監督がそこまでしなくてもいいでしょう?」とよく言われるが、昔のように監督は偉そうにしていれば、皆が全てやってくれるという時代ではない。価値観や習慣が変わり、時代のスピードが早くなっている今、それに合う行動をしていかないと、時代の波に押しつぶされてしまう。

映画1本監督するだけでも大変なこと。それが4本目が完成できたのは、そんな行動に意味があったと思いたい。ただ、これは監督業だけではない。会社員だって同じだろう。昔みたいに、大学を出て、何も技術がないのを5年くらい、経験を積んでから会社の戦力になればいい、という会社は多くはない。契約にして、いつでも切り捨てようとする。そんな会社とどう取り組むべきか?若い人は考えねばならないだろう。

商売でも、ビジネスでも、お弁当やさんでも、喫茶店でも同じ。昔と同じ価値観で、昔と同じ方法論でやろうとしても、うまくいかない。といって、これは正解!という方法がある訳ではない。今、日本の企業が直面している問題も同じではないか? 電気製品も韓国に抜かれ、いつまでも不況を抜け出せないのは、時代に相応しい経営ができていないからだ。そのしわ寄せを労働者に押し付けているように感じる。

過去の価値観を見つめ直し、問題点を探し、改善して、前に進まなければ、どの業界でも先には進めないような気がしている。僕も自分のやり方がベストだとは思わないが、映画作りの前に、映画作りの環境作りをしなければ、いいものはできない。だから、製作会社は入れず、Pも雇わない。だから、忙しい。自分で自分の首を閉めている。でも、いいものを作るのが仕事なのだ... /


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映画を作りは「泣かそう」と思って作ると感動作はできない? [再・映画界]

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映画を作りはどんな題材で何を伝えることが大事か?を考える。「泣かそう」と思って作ると感動作はできない?】

映画監督が映画を作るとき「これを撮ってください」と依頼を受けて撮る場合と、自分がやりたい企画を映画化する場合とがある。前者が圧倒的多数だが、僕の場合は後者が多い。もともと依頼が少ないのに、せっかく依頼があっても自分に合わない作品だと断ってしまったりする。そして本当に作りたい!という作品は何年かかっても作るからだ。ただ、いずれにしても「これを作りたい!」と思えるものを作らなければ、素晴らしい作品はできない。

でも、そんなだから、僕の場合は4−5年に1本しか監督できないということになる。おまけに通常の映画は20%ほど製作費から手数料を抜き製作するが、僕の場合は何だかかんだで全てを映画に注いでしまうので、何も残らない。それどころか、監督にはギャラが支払われない宣伝活動まで全面的にやってしまうので、1本撮るごとに経済が大変なことになる。

そんな訳で「向日葵の丘」公開も終わりに近づき、今後はどうして行くか? 考えねばならない時期に来た。とりあえず、正式な依頼はまだない。が、声をかけられたから考えたのでは遅い。どこで仕事をするにしても、そのための企画を用意しておくことは大事。しかし、問題がある。「向日葵の丘」はもの凄く評判がよかった。僕の監督作品で1番評価された作品かもしれない。

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嬉しいことだが、同時に恐怖でもある。次はよほどいい映画を作らないと「前の方がよかったなあ〜」と言われるからだ。例えば90点を取ると、次に85点を取っても「前より落ちた」と言われる。それと同じで、評価されると、次はもっと上を行かないと「駄目だ」と思われる。しかし、毎回、「感動した〜泣けたー」という映画を作ることなんて出来ない。感動作を1本作るだけでも至難の技だ。

ただ、僕の場合「泣ける映画」を目指しているのではなく、結果として観客が感動、号泣するというもの。泣かせ映画を作っている訳ではない。が、観客はそれを期待してくるのである。そのプレッシャーはもの凄いものだけど、気をつけねばならないのは「泣ける映画を作るにはどーすればいいか?」と考えてはいけないということ。

「泣ける」ではなく、何を伝える映画を作るべきか? を考えることが大事なのだ。今の時代に「親子に伝える大切なこと」とは何か?が僕の映画のテーマであり。何をどのようにして伝えるか?が映画作りである。僕の1作目はファンタジー映画だった。2作目の題材は書道。3作目は原発事故。そして今回は現代と過去の物語を繋ぐことで大切なものを伝えた。では、5作目は? 

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そう。その時代時代で一番興味を持ったものを題材としている。だから、毎回、評価されたんだと思える。自分が興味を持てないものを映画にしても、観客には伝わらない。「今、何を見つめることが大事なのか?」「何を見れば大切なことを分かりやすく伝えられるか?」それをまず考えなければならない。

でも、生活のための仕事もせねばならない。ハリウッド監督と違い、日本の監督は本当に大変。監督業だけで食えているのは5人といないだろう。もちろん、僕はその中には入っていない。多くの監督と同じで悪戦苦闘の毎日。そんな環境ではあるが、新しい題材を見つけスタートせねばならない。映画監督業とはそんな商売である。



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編集はセンス。それが一番欠けるのが年配の男性? [再・映画界]

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撮影した映像を編集することで、

演技の間を延ばしたり、縮めたりすることで、その演技をより良いものにする。或いは、不自然な演技を自然な演技にすることができる。「愛してる」と男がいったあとに、「私も」と女が答える台詞があったとして、すぐに「私も」というのと、少し間があった場合。その意味さえ違って来るからだ。

 だが、「間」何秒あれば感じが出るか? そこに決められた答えは無い。編集するものの「感性」や「センス」で決めるしかないのだ。以前、ある映画で粗編したものをプロデュサーに見せたら。「この間は長過ぎる! さっさと、台詞を言わせた方がいい!」と指摘された。が、その場面は間を十分に空けないと感じが出ないのだが、その理由を言葉で説明するのはむずかしい。というより無理。センスの問題なのだ。

そのPがセンスがある人の場合なら

「もう2秒。間が短い方がいい」「いや、1秒でいい」という具体的な議論ができるが、センスのない人であれば、どう説明しても理解してもらうことはできない。ただ、多くのPはセンスがない。さらに致命的なのはセンスのない奴に限って「俺はセンスがある!」と思っている。(もちろん、いいセンスのPもいるにはいるが、やはり少ない)

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センスがないことを指摘するのも難しい。

 指摘しても、そんなPに限って「センスがないのは、お前の方だ!」てなことを言い出す。まさか10人に見せて、間があった方がいいか? ない方がいいか? アンケートを取ることもできない。そんなセンスの問題が何十カ所も出て来て、昔はよく揉めたものだ。

 総じて、センスの良さは若い人。そして女性に多い。もちろん、センスのない若者や趣味を疑う女性もいるが、明確に言えるのは一番駄目なのは年配の男性ということ。そしてPというと、見るからにセンスのないオジさんということが多い。80年代に日本映画を駄目にしたのは、その種の人たち。僕が監督業をスタートした頃はまだまだ、そんなタイプがいて悩まされた。(今も生存しているが)

 しかし、そんな間の取り方で泣けたり、感動したりする。そこにセンスがないと、泣ける場面で泣けない。感動する場面で感動できないといことになる。僕は言い出したら聞かず、その映画のときも自分の編集で押し通した。Pからは「誰もが席を立って出て行く、最低の映画だ」と面と向かって言われた。勝負は一般試写。コメディなら笑いが起こればOK。感動ドラマなら泣けば合格だ。

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試写会では皆、号泣。拍手まで起こった。

映画館公開されてからも場内は涙の連続だった。が、そのPは初号試写しか見ようとせず、(初号はスタッフと関係者が見るので、自分のパートの出来、不出来が気になり物語で泣く人はまずいない)その後も「これは失敗作だ」と言い続けた。

 でも、その作品を見て「感動した!ぜひ、一緒に映画を作ろう!」というPと出会い仕事をした。なのに彼も編集になると「ここは違うんじゃないか?と言い出した。結局、Pという人種にセンスを理解させるのは不可能だと思えた。その後、プロデュサーは雇わず、僕自身がPをすることにした。

そもそも、編集に関してPがあれこれ指摘するべきではない。

監督が「こうだ!」といえば、それを信じて応援する以外にない。もし、監督にセンスがなければ、1、2カ所くらい意見して直しても全体として失敗作になってしまう。それが分からず、今もセンスのない人があれこれ口出す話はよく聞く。でも、いつしか僕自身が最もセンスのないオジさんの年になっている。

 「俺は違う」と思いながら、間違ったセンスで編集していないか? といつも考えてしまう。あのとき、僕の編集を無神経に批判したオジさんたちと同じで「俺は正しい!」と思っているのではないか?そんな不安も常に付きまとう。編集はセンス。それを失ったらおしまいなんだ。


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【映画の宣伝ってどーやるの? *億円かけて告知するって本当?】① [再・映画界]

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映画の宣伝ってどーやるの? *億円かけて告知するって本当?】①

今回も宣伝で全国を飛び回ったが、行く先々でお話させてもらった方々からいつもながら驚く話を聞いた。これだけ映画やテレビ業界用語や裏話等が一般でも知られているのに「宣伝」というものが未だに理解されていない。多くの方がこういう。

「宣伝って映画館がやるんでしょう?」「テレビ局がCM流してくれるんだよね」「誰かがやってくれるんじゃない?」「映画館で上映すれば、マスコミが宣伝してくれるんだよ」

ぜーーーーーんぶ、ハズレ! 皆、知らないというより、「宣伝」について考えたことがないようだ。テレビを付ければ24時間CMが流れる。雑誌を開けば広告だらけ。だから、一般の方はそれが当たり前になっていて、宣伝というのは誰かがやってくれるもの.....で完結して、「では、誰が? どうやって?」とは考えないことが多い。

ある人に「じゃあ、誰が宣伝するの?」と聞いたが「「電通がやってくれるんじゃない?」といわれた。「じゃあ、電通って何をしてくれるの?」とさらに聞くと「さーよく知らないけど、宣伝してくれる会社だから、宣伝するんじゃないの?」と答えた。んーーーーーーーー、電通は広告代理店だ。宣伝会社ではない。やはり、宣伝について真剣に考えたことがないようだ。

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毎回、映画が公開されるとき、多くの人は「誰かが宣伝してくれるんじゃないの?」と思い「監督、がんばって下さーーい!」といわれることが多い。あんた関係者なんだから「がんばれ」ではなく、宣伝協力してよ!といいたくなる。が、「誰かが宣伝してくれるよね〜。楽しみー!」で公開を待つだけ。という方が多い。なぜか、そうなってしまう。ま、それだけ一般の方は宣伝というものを把握できていないということ。そこで今回は映画の宣伝について説明する。

例えば「スターウォーズ」だ「ターミネーター」だというようなハリウッド映画の場合は、10億円くらいかけた大宣伝が行われる。テレビでスポットをバンバン流し、大手新聞に一面広告を載せ、雑誌等にもカラーで広告を掲載する。

ハリウッドからキャストを呼び、イベント。それをマスコミに取材させ、さらに個別のインタビュー。それがテレビ番組、新聞、雑誌、ネット等で紹介される。街角には巨大な看板。垂れ幕。ポスター。こうして映画の存在を多くの人に伝える。これには莫大な宣伝費がかかる。億単位の費用が必要だ。が、それくらいにしないと、1本の映画を日本中に知らせるのは難しい。

では、日本の独立系の映画の場合はどうか? まず、テレビスポットは無理。これが一番高い。数千万円から億単位。新聞広告も駄目。数百万から1千万円。雑誌も数百万。この辺は全てアウト。看板も駄目。これも数百万。

結局、できるのは、チラシ、ポスターを作る。それを映画館に置いてもらい、アピール。ポスターを貼り、チラシを配る。でも、それでアピールするのは映画ファンだけ。一般の人に映画の存在を伝えることはほとんどできない。そこでお金がかからずに、宣伝する方法を使う。「パブリシティ」である。例えば、雑誌や新聞。ネットに、主演俳優がインタビューに答えると持ちかけ、記事を掲載してもらう。


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あるいは監督のインタビューをしてもらう。俳優は知名度がないと、取材をしてもらうことはむずかしいが、監督なら無名でも記事になりやすい。この辺も費用が全然かからない訳ではない。女優さんならメイクさんを付けて、取材前にメイクをする。そのメイクさんが1日何万というギャラを取る。ビジュアル誌であれば、写真が重要。写真スタジオをレンタルして撮影する。それにまた数万円!

あとできるのは舞台挨拶。マスコミが来て番組や新聞で報じてくれる。が、なかなか、来てくれず、お客さんだけが舞台挨拶を楽しむだけということも多い。また、その記事が出ても、それを見て「この映画見よう!」という人は少ない。こうして独立系の映画というのは、多くの人に存在を知られることなく、公開され、大した観客動員ができず。2週間で終わることが多い。

それに対して大手映画会社は、特に日本の企業映画はこの数年。さらにスゴイ手法で宣伝している。テレビ局ジャックともいえるもので、朝から深夜まで、その局の番組に出演者が出まくるという戦略。朝のワイドショーから、昼の情報番組。夜のバラエティ。深夜のお笑い番組。嫌が上にも目に留まる。よく「いい映画を作れば客は来る。中身が勝負だ!」という人がいるが、いい映画でも、駄目な映画でもまず、その存在を知られないと映画館に来てもらえない。

映画館に来て見てもらって始めて「いい映画」と「駄目な映画」に分別される。そして、毎回書くが「いい映画」でも、その評判が広がる頃には上映が終わっている。2週間でも口コミを広げるにはあまりにも短過ぎる。こうして、詰まらない映画でも大宣伝すれば、ヒットする。「あれ、テレビで宣伝しているから見たけど、ほんと詰まらなかった〜」と悪い評判が広がるまでに、多くの観客が映画館に行くのである。現在、ヒット中のあの日本映画もそのパターン。

しかし、最近はテレビで宣伝しても大ヒットするとは限らない。観客がダマされなくなって来たのだ。すると、高額の宣伝費をかけても映画がコケることがあり、宣伝費をかけない映画はますますヒットしないという状態になっている。そんな中、僕がいつも行っている地味な宣伝法があるのだけど、何だかここまででかなりな文章量になってしまった。それはまた次の機会に紹介させてもらう。とにかく、宣伝はむずかしい。

まとめると、数億円の宣伝費を使わないと映画の存在を多くの人に知らしめることはできない。といって、数億円使ったからと大ヒットはしない。が、何もしないと、本当に客は来ない。いい作品を作れば口コミでヒットするといわれるが、口コミが広がる前に上映が終わる。それが今の映画界の現状。その中でそうすればいいのか? 考えていきたい。(つづく)


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編集は映像のことだけ考えていては駄目? [再・映画界]

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 編集作業はNG抜き=>粗編集=>詰め編集

 と進むのだが、僕の場合。粗編とはいえ、かなり詰めた編集をする。以前はNG抜きをせず、いきなり詰め編集をしていたが、今回は特別。基本を踏んで作業。それだけクオリティの高い作品なので、大切に作業。

 なぜ、粗編で完全に詰め編集をしなかったかというと、音の問題が関わるのだ。編集というのは映像をつなぐ仕事。だが、映画には音や音楽というものが加わる。昔、年配の編集者を見ていて思ったのは、音楽や音をあとでどう入れる?ということを考えずに、映像だけをギチギチに繋いでしまう。

 それでいて「この場面。もたないな?」と思うと

 音楽入れるとかいう発想の人が多かった。だから、日本映画というのは(特に80年代)情緒のないものやムードのないものが多かったのだと感じる。その背景には昔の日本映画。黒沢明等の作品でないものは、編集者が編集をして、それを見た監督が「ここは長く」「ここは短め」とかいって直して行くやり方が多かったからだ。

 編集は音楽のことなど考えていない。それどころか「映画は見せるもの。音楽に頼ってちゃいけない」という発想さえあった。だから、日本映画では永遠の名曲という映画音楽が少ないのだろう。デビッド・リーンだって、ウイリアム・ワイラーだって、スピルバーグだって、彼らの映画の音楽はスタンダードになり。それを聴いただけで感動が蘇るが、日本映画でその種のものは少ない。

 それが昔から気になっていて、

 僕はシナリオの段階から音楽を使うシーンを決めて、以前はそのイメージ曲をカセットテープに入れて、それを聴きながらシナリオを書いたものだった。最近はそこまでしないが、音楽がかかる場面は決めている。学生時代に8ミリフィルムで映画を撮っていた頃は、作曲してもらう訳にはいかないので、規正の曲を先に決めて、そのリズムに合わせて編集をしたくらいだ。

 なので、今は作曲をしてもらうので、編集中には曲がなくやりづらい。で、規正の曲を先に決め、それに合わせて編集。音楽家さんには、その曲の方向で作曲してもらう。が、その曲がなかなか見つからないことがある。或はイメージした曲のリズムで編集しても実際合わせて見ると駄目だったり。そんなこともあるので、完全に編集せず、余裕を持たせておく。

 他にもいろいろ理由があるのだが、映像だけ見てギチギチに編集しては駄目なのだ。できあがった映画の後ろで音楽がBGMのように流れているという形では感動は伝わらない。そのために、編集作業以外の視点や発想が必要なのだが、それはまたの機会に。

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【映画は時代の反映。作家が自分の心に問うとき名作が生まれる?】 [再・映画界]

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 2015年7月の記事より


 311後に友人のテレビ局ディレクターがこんなことをいっていた。

「これからの映画は311前と後で分かれる」

 僕も同じことを感じていた。311以前に作られ、それ以降に公開された映画を見ると、「何これ?」という時代錯誤を感じ、見ていられないものがあった。震災や原発事故を描かなくても、それを体験した人が作ったものと、それをまだ経験していない時期に作ったものは雲泥の差があった。

 僕の映画もそれまではさわやかな青春ものだったのが、一気に「朝日のあたる家」に進んだのも時代の反映だったと思える。あの時期にどんな美しい青春を描いても観客には伝わらない。東北の人たちだけでなく、日本人。いや、世界にも通用しないと感じた。同じ時期。宮崎駿はこう言っている。

「もはや、ファンタジーは通用しない」

 あれだけファンタジーの傑作を撮って来た人がだ。やはり311以降には無意味と巨匠は悟ったのだろう。そもそも、ファンタジーというのは平和な時代にスリルやサスペンスを求める世界。2時間の間、映画館でハラハラドキドキして現実に帰って来るためものもの。

 それが今の日本はまさに「ナウシカ」の腐海そのもの。そんな時代に現実逃避してどうする?ということなのだろう。その宮崎駿が監督したのは「風立ちぬ」ファンタジーの巨匠が現実を描いた。彼のナンバー1作品だと思うし、そのメッセージに心打たれた。時代を反映していない作品は観客に届かないことを思い知った。

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 これは僕の意見だが、ファンタジーと共に現代通用しないジャンルがもうひとつある。「ラブストーリー」だ。それをうまく説明することはできないのだけど、この混濁の時代。「恋愛」まで行き着かないのではないか? と感じる。今の時代に求められているのは「絆」それは親子の絆であり、家族の絆。そこをまず、もう一度見つめることが大事な時代になったように思える。

親子のつながり。家族のつながり。

 友達とのつながり。それらが希薄になり、長い年月が過ぎた。けど、それをもう1度見つめ直す時期が来たのだと思える。当たり前だと思えた家族が崩壊する。その家族こそが災害のときには一番の味方だった。空気のようだった家族の大切さを日本人は再確認したのだと思う。

 だから「朝日」はそれがテーマになった。家族。古里。親子。友達。それがどれほど尊くて、貴重なものなのか? それを描いた。そして現在、日本は不況が続き、未来が見えず。希望が感じられない。さらに悪い時代を迎えるような気さえする。そんな時代に一番考えなければならないこと。見つめなければならないこととは何か? そこにドラマの意味があるように思える。

 物語を作る上で大切なのは、その時代を生きる作者自身がその時代をどう感じるか。そして自分の心に問いかけること。本当に願っていることはなにか?を描くことだと思う。***が流行っているから、***が人気だから、ではなく。自分の心に問うことこそ、時代を反映した他素晴らしい物語が生まれてくるのだと思える。




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映画作りは「圧力」や「横やり」との戦いの連続? [再・映画界]

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いろんなところから横やりや圧力がかかる。

どんな小さな映画でも映画というのは、様々な利権が生まれるからだ。もちろん、映画出演したからと何億というギャラがもらえる訳ではないが、俳優にとって、事務所にとって、ロケ地にとって大きなメリットがあるからだ。

俳優といっても名前が売れている人は極々一部。無名の俳優が圧倒的多数。ギャラはなくても映画に出たいという人が多い。それをチャンスとして羽ばたきたいと考える。長年がんばっている所属俳優に仕事を取らねばと事務所も願う。だから、少しイ強引な手を使うことがある。

ロケ地の話は前に書いたが、

多くの地方は今、財政難を抱えている。一番早いのは観光。でも、伝統的なお寺も歴史的な場所もない町では観光客は来てくれない。といってCMを打つと巨額の宣伝費が必要。それが映画がロケされればタダで宣伝できる。だから、ロケ誘致が盛ん。強引な手を使う地区もある。

それぞれの理由は分かる。が、それを製作サイドがひとつひとつ受け止めていたら、素晴らしい作品はできない。それこそ観光PR映画となり、役に合わない俳優が出演しているダメ映画となる。結果は客が来ずに惨敗。ロケ地のPRにも、俳優の栄誉にもならずに終わる。

素晴らしい作品を作ってこそ、ロケ地は輝き、

観客が「この町に行きたい!」と思い、役に合った俳優を起用するからこそ、物語が盛り上がる。なのに本末転倒ともいうべきことに、必死で努力する人たちがいるのも現実だ。

そこにプロデュサーという存在が関わり、その人が裏で接待されたり、今後のメリットになる提案をされると、こう言い出す。「このロケ地の***公園でロケする」「***事務所の俳優をメインに入れてほしい」そう監督に指示。或いは頼み込む。監督もまたプロデュサーから仕事をもらいたいので、受け入れてしまう。こうして映画は傾いて行くのである。

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しかし、僕は今回の「向日葵の丘」まで4作。

その種の指示や頼み事は全て断って来た。監督の仕事は関係者のご機嫌を取ることではない。素晴らしい作品を作ることなのだ。役に合わない俳優を無理やり入れても、物語にふさわしくないロケ地で撮影しても絶対にいい映画にはならない。

だから、プロデュサーには嫌われた。「融通の利かない奴」といわれ、いろいろとバッシングを受けた。悪口をあちこちで言われ、逆にまわりから同情されたほど。

Pからばかりではない、応援してくれている力のある方。ロケ地の名士。スポンサー等からもお願いや提案が必ずある。お願いを超えて「命令」や「圧力」が来ることもある。「これはマストなんだよ!」と命じる人もいた。けど、そんなことを全て受け入れていたら、素晴らしい作品は出来ない。制作委員会形式で素敵な映画ができないのと同じ。いろんな人がいろんなことをいう。皆の顔を立てて受け入れると、最大公約数の作品しかできない。

だから、監督は嫌われても拒否しなければならない。

が、彼らは強行なだけでなく、甘い手や断りにくい手を使い目的を遂げようとする。それを跳ね返すのは大変。そんなことに多くのエネルギーを使う。ここ数作はもうそんな戦いはなくなり、自由にやれるようになった。とてもありがたい。けど、後輩たちは今もその戦いを続ける。そしてこれは映画製作だけのことではないだろう。

他の業界でも似たようなことは多いはずだ。市民のために行われるべきことが、いつの間にか特定の会社の利益のために進んでいることがよくある。そんなことも考えてしまう。



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映画監督残酷物語② 作品作りの前に抵抗勢力と戦わねばならない? [再・映画界]

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映画監督というのは何年に1度しか仕事が出来ない

 上に、その期間でギャラを割ると単なる低所得者になってしまうことが多い。が、それでも、ノーギャラでも映画を監督したいという新人も多い。ベテランでももう20年以上監督していない人がいるし。監督デビュー作以来何も撮っていないという人もいる。

皆「そろそろ、1本撮らないと『監督』と呼ばれるのも辛いなあ...」と思ったり。映画監督になるだけでも大変なのだが、1年に1本監督とするというだけでも至難の技なのだ。だが、その1本を撮るときにも、更なる戦いが待っている。作品作りの戦いではない。それ以前の過酷な戦いが待っている。

 基本的に映画監督というのは、

 製作費の中では全てを決める権限がある。キャスティング、スタッフィング。シナリオ。音楽。セット。ロケ地。etc....なのに、今の映画界はそうはいかない。今回は主演俳優のことを書く。主演は監督が決まる以前に決まっていることが多い。だいたい、今旬の人気タレント。「シナリオ(或は原作)のイメージと違うだろう?」ということもあるが人気者に決まってしまう。会社側は「人気の***でないと客を呼べない」と判断するのだ。

 さらに、その人気タレントはテレビのバラエティ番組をはしごして、宣伝しまくってくれる。それが映画会社にとって大事なのだ。何億円もの宣伝費を使わずとも告知できる。その役にふさわしい演技力のある俳優よりも、人気があり、レギュラー番組を持つタレントが映画に起用されるのは、そういう背景がある。

 しかし、客がタレント人気で映画館に来ても、

 明らかに主人公のイメージと違うので違和感が漂う。原作を読んでいる人は「違うよなあ〜」と不満。こうして映画館に客は来るが、満足せずに帰るということになる。なのに、これを監督はどうすることもできない。「俳優の****の方が合っている!」といっても駄目。そんなことを主張すると、俳優ではなく監督自身が交代となる。

 それどころか、その人気タレントと同じ事務所の売れない俳優たち、おまけに付いて来て、それなりの役で使わなければならない。また客には「イメージ違うんだよなあ」と批判される。さらに、人気タレントサイドからは、台詞、衣裳、等についてもうるさく言ってくる。「うちは***のCMに出ているから***ジュースは飲めない」とか、「このシーンはスポンサーサイドに迷惑をかけるので変更してほしい」とか、

 さらには現場でモニターを見て「うちの***子。あごが二重に映っているから撮り直してくれ」というマネージャーまでいる。「だったら、撮影前に痩せろ!」と怒鳴りたくなるようなことがある。基本、俳優と違いタレントは「演技」を一番の仕事とは考えておらず。それなりの芝居しかしないことがある。

 多くの仕事のひとつ。そんな風にしか思わず。撮影中も明日のテレビ番組のことで頭がいっぱいとか。「夕方からテレビの収録があるから、それまでに撮影を終わってほしい」とか、無理な注文も出る。だったら、映画に専念できる俳優を主演にすればいいのに、会社側は人気タレントを起用したがる。監督はやる気のない俳優をなだめ空かして撮影、てなこともある。

 主演俳優だけでなく、  

 いろんなところから、****市でロケしろ、****さんのレストランを使え、*****社の製品を画面に出せと、主題歌は***レコードの***にしろと、いろんな指示や圧力、横やりが入る。それらを受け入れることで物語の世界観が壊れるとしても、ガンガン言ってくる。

監督はまず、それらと戦い。必要なものを採用。いらないものを封じ込めてから、監督業を始めなければならない。それをしないと単なるご用聞きとなり、とても映画と呼べるようなものは出来ない。

そんなふうに映画を作るより、それ以前の戦いからスタートするのが監督業である。そんな映画でも監督できるのは数年に1本。そこで会社に逆らえば次の依頼はなくなる。従うとロクなものができないのに「あいつは実力がない」と判断されやはり依頼されなくなる。そんな因果商売でもあるのだ。

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日本の企業映画はいかにして作られ? なぜ、詰まらない作品が多いか? [再・映画界]

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映画館で毎日上映されている映画

有名俳優が出ていて、それなりに製作費がかかったあれ。基本的には映画会社が企画し、スタートする。最近では、テレビ局。ビデオメーカーが企画した作品の方が多い。或いは、製作会社が企画したものもある。いずれにしてもプロデュサーという肩書きを持つ社員が企画会議で、こんなプレゼンをする。

「ベストセラーの****を原作にした映画を、人気のタレント*****を主演で映画にしたいと考えます」最近はマンガ原作が多いが、まず、その版権を押さえる。「少年ジャンプ」では新連載が始まったとたんに各社から映画化、ドラマ化依頼が来るので、「***というマンガが人気!」といわれてからではすでに手遅れ。

というのは、映画にするにはベストセラーということが不可欠なのだ。せめて人気作家の作品であること。最低でも書籍になっていなければ、企画会議では絶対に通らない。つまり、知名度のない作品を映画化すると、タイトルからまず伝えて行かねばならない。そのためには膨大な広告料が必要だが、ベストセラー原作だと「ああ、あれね! 映画になるんだ」といって覚えてもらえる。

映画会社にとって大事なのは

「内容が面白いかどうか?」よりも「作品や作家に知名度があるか?」が重要なのだ。幸い、ベストセラーであれば、面白いからこそ売れた訳で、そこもクリアーできる。でも、逆にいえば、どんな面白いシナリオがあっても、原作ものでないと映画化はまずされない。

もし、無名の新人ライターが書いたシナリオがもの凄く面白くて、映画化すればヒットしそうだとしても、映画会社は決して採用しない。まず、先に上げた知名度がないからだ。

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例えば若いPが「このシナリオ面白いですよ!映画化しましょう」

と提案しても、こういわれるだろう。「その映画がヒットする保証はあるか? 原作が500万部売れていれば、10%の50万人が映画館に来るという計算ができるが、原作がなければ、そんな計算もできない。何よりお前がそのシナリオを面白いと思うだけで、一般の人は興味を持たないかもしれないだろう」

もし、その若いPが何らかの手段で映画化しても、ヒットしないと「お前が面白い、絶対にヒットするといっただろう?」と責任を追求される。だから、バカらしくなり、そんな提案をするPはいなくなる。さらに、ベストセラー原作を提案して、ヒットしなかった場合は「500万部売れたマンガを原作にして駄目なら仕方ないですよ」という言い訳ができる。だから、若手Pも次第にオリジナル・シナリオを提案することはなくなる。

この構図の基本的な問題点は、

映画化の決定権を持つ重役たちがベストセラー原作の知名度のみにこだわるということだけでなく、シナリオを「読む力」がないということだ。そして「これは当たる!」という商売的な勘がないということ。だから、売れた原作ものに頼る。或いは頭が古くて、新しいものが理解できないか? いずれにしてもシナリオを「読む」力も、時代を「読む」力もないということなのだ。

もうひとつ、「俺は命をかけて、この作品をヒットさせる!」という思いもない。成功させるより、失敗したときのことを先に考えて、まず逃げ道を作る。「ベストセラー原作で駄目なら仕方ない」自分には責任がないと弁解できるようにしているだけだ。

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同じことは他にも言える。

「人気タレントが主演だから」「有名アーティストが主題歌を唄うから」「テレビシリーズの映画化だから」みんな、ヒットするからというより、万が一ヒットしなくて責任を追求されないための提案なのである。真剣に映画を売って会社に大損失を与えたら、窓際に飛ばされる。そうならないようにPたちは「人気ブランド」にすがるのである。これが多くの日本映画が作られる経緯だ。


作品内容そのものより。ベストセラー原作、人気タレント、有名アーティストの主題歌を重用視。それぞれが相反するものでもおかまいなし。そうして決まった企画をテレビ局、レコード会社、コンビニ、メーカーと、いろんな企業から出資を募り、映画化。撮影に入る。

「この作品を作りたい!」とか「このテーマを伝えたい」という思いはほとんどない。がビジネスなので、それはいいとしよう。それならがんばって儲けてもらいたいのだが、単に人気のカードを揃え、多くの金を集めて、大宣伝して上映しようというだけの発想。料理だって高級食材ばかり集めたからと、おいしい料理が作れる訳ではない。映画も同じだ。

が、次第に観客もそれに気づき始めている。

テレビで大宣伝しても、ヒットには繋がらなくなってきた。食品でも、車でも、テレビでも、何でも同じ。作り手側が作りやすい、都合のいいものを作り、冒険も、チャレンジもしない。リスクも負わないでいるようでは、いい物はできず、消費者は満足しない。映画も同じだ。でも、まだまだ、映画会社やテレビ局は、相も変わらず、「人気カード」集めに右往左往しているのが現状だ。


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